見出し画像

岡山ネクスト編

今回は俺が、2011年から2014まで所属した『ファジアーノ岡山ネクスト』
通称『ネクスファジ』
について書きたいと思います。

コンサドーレ札幌U18を卒団し、2011年よりJ2のファジアーノ岡山と契約し、プレーする事になった。
当時ファジアーノは若手育成や出場機会の少ない選手に、試合経験を積ませる為、J2リーグに昇格した2009年から、セカンドチームが結成された。それが、ファジアーノ岡山ネクストである。

詳しい事は、こちらから。

俺も高卒1年目からネクスファジに登録変更になり、4年間プレーしていた。
チームの振り分けは、新体制発表会が終わり、ファジアーノ恒例の『ウインターキャンプ』をして、そこから1〜2月のプレシーズンはファジアーノ全体で練習する。
そしてJリーグ開幕の2-3週前になったら、J2リーグを戦うトップチームと、中国リーグ(地域リーグ)で戦うネクストに分けられる。

春の新規登録期間が3月末に終わり、ここでトップチーム入りを逃すと、次のトップ昇格のチャンスは夏の新規登録期間の7月中旬から8月上旬の期間しかない。
毎年夏に入れ替わっても1〜2人位だったかな。

俺は高卒2年目の2012年から2014年まで、ネクストで全試合に出場した。
高校卒業して4年間トップチームのみの場合、俺は4番手の選手だったので、練習試合もまともに出られず過ごしていたかもしれないと思うと、ファジアーノに入団し、セカンドチームで沢山の試合をさせてもらった事は、非常に良い経験になったんじゃないかと思った。
まぁ今日本にはJクラブのセカンドチームは無いので、試合に出られない若手は試合経験という意味で、非常に物足りないのではないかと思う。

2011年から13年までは地域リーグでプレーし、14年はJFLリーグでプレー。普通のJリーガーじゃ出来ない経験をしてきたので、皆さんにこのnoteを通じて知ってもらいたいと思う。

地域リーグは中国リーグに所属し、岡山、島根、鳥取、広島、山口にある10チームで行われる。
2回ずつ試合をするので、リーグ戦は18試合。
あとはカップ戦として、天皇杯の県予選、勝ち抜くと天皇杯本大会。
全国社会人選手権の地域予選と本大会。
中国リーグを勝ち抜くか、全国社会人選手権で3位以内に入ると、地域決勝大会の出場権を獲得することが出来る。年によって変わるが、地域決勝大会で2位から3位以内に入ると、JFLに昇格出来る。

ネクスファジは2012年に中国リーグは2位だったものの、全国社会人選手権で3位となり、地域決勝大会に出場。決勝ラウンドまで進んだ。
SC相模原、福島ユナイテッド、ノルブリッツ北海道との決勝ラウンドを2敗1PK勝ちの勝点2で、4位となり、JFL昇格を逃す。

翌2013年は中国リーグを優勝し、地域決勝大会でも予選ラウンドを2年連続で突破。
決勝ラウンドはグルージャ盛岡に敗れたものの、FC鹿児島にPK勝利、ヴォルカ鹿児島に1-0で勝利し、2位でJFL昇格を決めた。

2013年の地域決勝大会でJFL昇格を決めた時


地域リーグの環境について、詳しく書いてみる。試合会場はスタジアムではなく、県営や町営の公園のサッカー場、大学の人工芝、地方の小さい陸上競技場など、様々。もちろん観戦は無料。同じ会場で何試合もするので、ピッチ内でアップが出来ず、横のコンクリートや雑草の広場でアップしてから試合をする事もあった。試合の10分前に荷物を持ってベンチに行き、試合が終わったらすぐベンチから撤収し、次の試合のチームの為に場所を空けなければならない事もよくあった。
ネクスファジの場合、岡山県内でやる試合は基本自分の車で行く。岡山県内といえど、北に南に広いので、2時間かけて運転して会場に向かう事もあった。他県で試合の時は、チームのバスだけど当日入り。3〜4時間かけて試合してとか普通だった。朝の9-10時キックオフの試合もあったし、真夏の炎天下でもデーゲーム。ピッチ横の水がお湯になってる事も良くあった。
ロッカーがない会場もあったから、用意された外から丸見えのテントで着替えたり、シャワーなんかもない会場が多かったので、濡れタオルとか水道で体洗って帰った事も何度もある。ボディーシートで全身拭いて車やバスで帰る事も何度もあった。
土日の2連戦は当たり前。全国社会人選手権では5日連続で試合した事もあるし、地域決勝大会は、3日連続試合が、2週連続で行われる。
疲れて寝て、起きたら試合が3日も5日も続いたら、頭がおかしくなるし、体もおかしくなる。
そして練習着、ユニフォーム、用具も自己管理なので、忘れたら試合に出られない!
ユニフォーム忘れて試合に出れない人も居たな…笑
軽食や補食も、当時独り身だったので、コンビニでおにぎりやパスタを買ったり、サービスエリアの食券機でうどんを頼んだりしてた。

でも、ネクスファジの選手達は全員プロ契約で、毎日午前に練習して、午後は筋トレや自分のケアの時間。そして毎週オフ明けは2部練習。本当にサッカーだけで生活が出来ていた。
練習環境も2011.12年はファジアーノの専用練習場が無かった為、毎日色々な場所で練習をしていたが、2013年より専用練習場とクラブハウスが出来て、ネクスファジもトップチームと同様に素晴らしい環境で練習する事が出来た。
地域リーグの中では最も恵まれていたと思う。
他のチームの選手たちは平日に朝から夕方まで仕事をして、その後練習をする。そして休みの土日に公式戦。彼らに比べたら、俺らネクスファジは恵まれてた。

でも簡単に勝てる程、地域リーグは甘くなかった。

リーグの中には、楽しくサッカーが出来れば良いからプレッシャーなくサッカーをしてくるチーム。
地域リーグとはいえプロ選手に負けたくないというチームや選手達。
地域リーグを勝ち抜いて、JFL昇格、その先のJリーグ昇格を狙うチーム。
会社のサッカー部の存続をかけて戦うチームや選手。
様々なチームが地域リーグにあって、色んなモチベーションのチームがある。
これほど複雑で、面白いリーグは中々ないと思う。
地域決勝大会を見たり経験した人達は、分かると思うけど、最高に面白くて残酷だ。
レベルはJリーグと全然違うし、やってるサッカーの質は決して良くないかもしれない。
だけど、面白い。
Jリーグも経験してるけど、2万人のアウェイの戦いより、神経が擦り減り、過酷だった。
1度でいいから、地域リーグを見に行ってみてほしい。

まぁそんなこんなで、J2リーグでキラキラ輝いてるトップチームを横目に感じながら、地域リーグ生活が3年で終わった。

2014年はJFLリーグ。全試合に出場した。その年のJFLには、ネクスファジの中国リーグ時代からのライバルだった、今やJ2に定着してるレノファ山口、現J3の鹿児島ユナイテッド、アスルクラロ沼津、ヴァンラーレ八戸。
天皇杯ジャイキリでお馴染みのHONDA FC。昔から強豪のソニー仙台など、レベルは高かったと思う。
当時対戦した選手の中に、今J1、J2でプレーする選手達もぼちぼちいる。そして勝手に親近感を感じてる。
ボコボコにされた事もあったし、通用した部分もあった。ネクスファジは他のチームに比べ若いチームであった分、波はあったけど、なんとか勝ち点を積み重ね、16チーム中11位でシーズンを終えた。

JFLは全国リーグだし、地域リーグより規模が大きいので、基本的にはスタジアムで行われる。観戦は有料。サッカー専用スタジアムはあんまりなかったものの、J2やJ3で試合が出来るような規模のスタジアムもあったので、非常に嬉しかった。シャワーもついてるし、トイレもちゃんとしてるし。
アウェイは前泊させてもらい、食事もホテルで食べさせてもらえた。それだけで嬉しかった。
ホームはトップチームと同じ、シティライトスタジアムを使わせてもらった。主にトップチームのJ2リーグと同日開催で、多くのサポーターに見てもらう事ができた。

しかし、トップチームのセカンドチームである俺らは、トップチームの様に待遇が全て良かったわけではない。
1番しんどかったのがバス移動。前泊はさせてもらえるが、6時間から8時間位で着くアウェイはバス移動。
青森遠征は、行きは飛行機で行くものの、帰りはバス。青森のスタジアムを16時に出発し、3時間経った頃に夕食休憩。この時点ではまだ、東北の福島県。
そこからまたバスを走らせ、消灯前の休憩として、関東圏のSAに止まる。
そして消灯。そこからは2〜3時間に1度、バスの運転手交代の為、SAやPAに寄って、休憩が入る。
残念ながら俺は神経質なので、就寝中であっても、バスがSAに入る手前にスピードを落とした瞬間、気づいて目が覚める。他にも、誰かの足が当たる、誰かがスマホをいじる、いびきが聞こえる、その瞬間に目が覚める。
バスで熟睡した事は1度もない。
そして就寝時間が終わり、朝食や身支度の為の休憩のSAに入る。まだ関西圏だ。
またバスに乗る。岡山に着く。もう昼だ。20時間近く、バスに乗っていた。

水曜どうでしょうってこんな感じなのかな?ミスター鈴井さんが言ってた、ケツの肉が取れる夢を見た。って言葉も、俺には分かる。
本当に気が狂いそうになるので、皆さんやってみて。深夜バスの旅を…

今でも移動はキツイし、コンサドーレに戻ってきて移動は大変だなと思うけど、深夜バスよりはキツくはないので、だいぶタフになったと思う。

ネクスファジに居た4年間を振り返ると、楽しかったし、充実していた。J2リーグよりは遥かにレベルも低いし、プレッシャーも段違い。注目度も低い。だけれど、俺らは本気でトップチームを目指したし、本気でJFL昇格を目指した。
全員がトップチームに入りたかった。自分さえ良ければ良いと思う選手も沢山居たと思う。その中の1人に俺もいる。
でもそんな集団じゃ勝てないって事を知った。サッカーはチームでやるもの。全員がチームの事を本気で考え、チームの為に走り、チームの為に身体を張る。そうじゃなきゃ、いくらプロ集団とはいえ、アマチュアのチームや選手達に勝つ事ができず、トップチーム昇格も、ネクスファジのJFL昇格も、何も掴み取る事が出来なかった。
だからチームの為に戦う事が何より大事だった。

『誰かのため、みんなのために、自分が頑張らないと、自分の為に、誰も頑張ってくれない』
『チームメイトの成功を喜べないと、自分の成功を誰も喜んでくれない』
これはその時に、自分の胸に刻んだ言葉。
誰かが言った言葉を、自分なりに解釈してまとめた言葉。
不器用だし、自分の力じゃ何にも出来ない俺が、この厳しいサッカー界で生き残る為に必要な言葉であり、考えだと思っている。

当時のチームは、チーム愛を強くする為やコミュニケーションを沢山とるために、みんなで月1で飲み行ったり、バーベキューしたり、ランチ会したり。キャンプ先の旅館で(神原荘)飲んで語り合ったり。河川敷でバーベキューをして、相撲をして川に落とされる奴がいたり、ティンバーランドのブーツ履いて足首捻ってる人が居たり…(時効でしょ)
(方言の強いSさんをいじりたいが為に毎回飲んでるんじゃないかと思ったよ、Sさん、 Nさん。)
Jリーガーであり、Jリーガーじゃない俺らがファジアーノ岡山ネクストの為に、メンバーの入れ替わりはありながらも、全力で戦った日々だったと思う。

俺はというと、ありがたいことに、2015年からトップチームでプレーさせてもらう事になった。そこから2年間プレーしたが、試合にも出れず、ベンチすら10試合程度しか入れず、2016年のシーズン末に契約満了を通達され、ファジアーノを退団する事になった。

最後に、現在ネクスファジは、2016年にチーム解散をし、無くなってしまっている。
トップチームの強化の為のチームだったのに、中々トップチームで活躍する選手が居なかったのも原因の一つだと思う。そこに関して、トップチームに昇格させてもらえた選手の1人として、責任を感じてる。
でも未だにネクスファジに所属した事のある選手がJリーグでプレーしてる人も数は少なくなったけど、何人か居る。
他にも引退してサッカー界やJクラブの為に働いてる人もいる。
周りや偉い人から見たら、その当時無駄だったのかもしれないけれど、俺は絶対無駄じゃないと思ってる。
俺のプロフィール欄から一生消えることの無い、しつこいくらいに名前が出てくる。

『ファジアーノ岡山ネクスト』

俺のプロサッカー選手の原点のクラブ。を皆さんに知ってもらいたかったし、知ってる方々は忘れないでほしい。

以上、岡山ネクスト編でした。

タイへ向かう飛行機の中でこの記事を作ってたんだけど、下書き保存をミスしてしまい、4000文字以上の文が一瞬にして消えました。
なので、ブリーラムに着いてから飛行機で書いた内容を、2日かけて内容を思い出しながら、作り直しました。

リーグ戦が終わって、この時期だからこそ、過去を振り返る事も多かったり、昔のチームメイトと連絡をとる事も増えるので、このnoteはしばらくは思い出振り返り編が多くなると思います。

またタイ遠征中に1-2本を無理しない程度に作ろうと思うので、期待に応えれるように頑張ります。

GK分析は、W杯が始まったらやってみよーかな。

ほんじゃあまた。

あざっしたー。


2011年、天皇杯岡山県予選の優勝した時の写真
初めての後輩、呉大陸。いい奴。俺のことナメてる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?