脳と絵を描くこと

いろいろ輪郭線について考察をするために絵を描いていたのですが、そっちが楽しくなってしまって記事をあげられていません。同時に大脳生理学に関する本も読み進めています。ま、もう少しマメにしなきゃね。

やっていること 絵を描くロボットができないかなあ

元々は絵を描くロボットを作るとしたらどんな風になるのだろう、というところから始まっています。目から入力された視覚情報を腕やら身体を使ってどう紙に描くのかを、カメラとロボットアームでシミュレート出来ないかというプロジェクトをやりました。
カメラからえた画像情報から輪郭抽出して、そのなかの点と点を数学的に結んで、その情報をロボットアームに送ったら描けけるのでは、とやってみました。まあ、絵にならない事はないのですが、ドローイングとは程遠いものでした。

絵を何度も何度も描いて

じゃあ、もう一度絵を描くってどういう事をしているんだろうと再考察。紙と鉛筆や絵の具、マーカなど広げて絵を描きました。スケッチレベルですが。そうしていたら、自分で絵を描いていたら楽しくなってしまって、ロボットを作る目的は先に進んでいないというのが現状です。
ただ、この絵を描いていて楽しい、というモチベーションというか、心地よさ、が絵を描く燃料みたいになっていることも、あらためて感じています。なら、この「楽しい!」という感覚を何かの形でコンピュータが感じれば、絵を描くロボットも出来るんじゃないかと、ロボットアニメのなかのようなことも考え始めています。

気がついたこと

そうして、いろいろ自身で絵を描いていて、ちょっと気がついたことがありました。

見たことがないものは絵に描けない。
見えないものは絵にできない

線を描いたり色を塗ったりするのは、見たままを描いているのではなく、こうあるべきだ、と判断したところに線を引いたり色を塗っているのです。そんこ判断は、それまで描き手が見てきた経験からしか出てこないのだと思います。空はこうである、人はこうである、球体とは、立方体とは、といった見た目の記憶や知識によって、目の前のものはこうである、こうであるべきである、と判断して絵を描く。もしくは頭の中で描きたいものを記憶から再構成して、それを紙やキャンバスといった支持体にメディウムを使って描くことが絵を描く行為なのだと考えるようになりました。
この記憶とのマッチングや再構成続けていくと、脳内で興奮する神経伝達物質が発生して、先ほど述べた楽しさが出てくるのかなぁ、などと勝手に想像しています。

気づきを証明したいです

この考え方が一般的であるのかどうか分かりません。なので文献調査をする必要があるでしょう。また実験も必要だと思われます。
例えば
目をつぶって絵を描くことができるのか?
後天的に視力を失った人は絵を描くことはできるのか?
先天的に視力が無い人は絵が描けるのか?
年代によって描けるものや形やモチーフは変わるのか?
脳のどこの部分の活動が活発になって絵を描いているのか?
などといことから、大脳生理学の本を読み始めています。

また、20世紀になって生まれた抽象絵画、特に第二次世界大戦以降の現代美術に関しても、もっと勉強しなければなりません。

そして、プログラマの考えが入り込みますが、コンピュータの計算や機械の運動から生まれたアート作品は人の記憶を再構成して作成されたアート作品と異なるのか?と@いったことも興味深いテーマがあるとかんじt4います。

もちろん、絵画やアート作品は,描くひと、制作する側だけで成り立つことはなく、その鑑賞者がいることも考慮しなければならい対象です。

などと、ツラツラと、考えの忘備録のように書きなぐりました。
人様の役に立つような研究ではないですが、ボチボチと進めていこうと思います。
(マメに記事書かなきゃね)

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