テラスハウス見て、人生考えてしまった話

インフルエンザとウイルス性胃腸炎でほぼ1週間引きこもり、寝過ぎて寝れなくなり、暇すぎて最新シーズンのテラスハウスを1話からずっと見ていた。(初見)

東京が舞台の今作だが、恋愛パートがそんなに長くなく、どちらかというと住人が人生どうしていくのか、みたいなテーマの時間の方が長い。
影響されやすいにも程があるが、図らずもそれを見ながら自分の人生を考えてしまった。

お決まりと言ってしまっては失礼かもしれないが、今回のテラハも住人のタイプは2パターンに分かれる。自分の道を見定めて、ストイックに道を極めようとしている人か、比較的モラトリアム期間の中にいて、自分の人生を見つめ直してるタイミングの人か。前者はBリーグのトップ選手や、女子プロレスラー、単独ツアーもやるようなバンドのリードマンに、プロデビューしたばかりの漫画家など、かなりいろんなタイプのプロフェッショナルが登場する。
どちらも共通してるのは、「人生の夢」とか「目標」みたいなものを持っている、もしくは持とうとしていることで、その文脈から「なぜテラスハウスにきたのか」という問いが盛んに飛び交う。

特に印象に残ってるのはペッペというイタリア人の漫画家。16歳の時から漫画家を目指し、独学で絵を描き始めて、10年の研鑽の末、スピリッツで週刊連載を持つに至った。入居中も締め切りは待ってくれないので、ひたむきに作品づくりと向き合う姿が淡々と描かれる。発売されたデビュー話が掲載されたスピリッツをコンビニの店頭で見つけ、店員のおばちゃんに「これ僕が描いたんです」とぼそっと告げる姿は、とても印象的だった。

そんなこんなでテラハを見る中で、自分は、これまでの人生をどれだけ真剣に生きてきたのだろうかと、呆然としてしまった。進路もキャリアも趣味も生き方も、自分で決めてきたと思っているし、それ自体を否定するつもりは全くない。本当に幸せだし、ありがたいことばかりだった。

けど、「自分が本当の本当に大切にしたいことは何なのか」をどれだけ自分に問えたかなとか。自分が賭けたい夢を見つけるための苦労を、それを叶えるための努力を、どれだけやってこれたのかな、とか。
全然本気じゃなかった。自分の人生なのに。手近な選択肢に流され、それっぽい理屈をつけて自分の選択を正当化して、いつも逃げてばかりだった。
なんでもいい。楽器でもスポーツでも勉強でもなんでもいいから、心底自分が熱中できるものに没頭して、そこに人生捧げるという道を、自ら閉ざしてきた。「なんかやったら一流になれてたのに」なんて甘えたことは勿論言わない。むしろ大敗する可能性の方が大きい。でも、挑んで失敗するなら全然いいけど、挑まないという選択を繰り返してここまできてしまった。

「たった一度の人生なんだから」なんて言葉、ありふれたものだけど、その本当の意味が分かってなかったんだと思う。人生は常に分岐点の連続で、何かを選ぶということは何かを選ばないことと同義。ありえた未来、起こりえた将来の芽を、一つずつ摘みながら生きている。あまりにも簡単に、なんの気無しに、その時々の気分と怠惰でその選択をし過ぎてきた。その悔恨が消えない。こんなたらればクッソダサいけど、建築家とか、アーティストとか、シェフとか、宇宙飛行士とか、本当にいろんな人生がありえた中で、今が最高だったと胸を張れない自分がいるのがすごく悔しい。ずっと自分に嘘をつき、嘘をつかせてたようなもんだ。

それを生んだのは、「なんかそういう仕事って手が届かなさそうだし」っていう決めつけやテイのいい言い訳であり、「自分にはそんな才能はないでしょ」っていうスカした自己防衛であり、「人生とか本気で考えるのしんどいしな」という想いからの先延ばしと怠惰であり、なんとなくでどんぶらこと船を漕いでくるうちにここまで来てしまったのだ。

29年そうやって生きてきたのかと思い、かなり途方に暮れている。

まだ未来は自分の手中にあることが唯一の救いで、もっと全身全霊で生きないといけない。

このままじゃいけない。

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