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「監督」とは何か。―サッカー日本代表と日大アメフト部から考える―
最近のニュースをにぎわせている話題に、
サッカー日本代表監督の電撃解任
日大アメフト部のラフプレー
がある。この2つの出来事に関する報道を見ていて、我々は今、「監督という役職とは何なのか」を考えさせられているのではないかと感じている。
なぜ、監督という役職は必要なのか。選手の自治組織ではいけないのか。監督はなぜ選手とうまくやっていけないのか。このへんを文章にしたい。
なぜ、監督という役職は必要なのか
そもそも監督とは何なのだろう。考えてみる必要がある。
【監督】演劇・スポーツなどで、現場を取りしきったり、そのグループの成員を指揮・指導したりする立場にいる人 〈大辞林〉
なるほど。監督は現場を取りしきること、指揮すること、指導すること、を役割としているらしい。
チームにとってこの役割は、なぜ監督という役職に任せないといけないのか。その理由は主に3つあると思う。
〈監督の存在理由〉
①選手よりも高い目線からチームを見て、チーム全体と選手個人を管理する必要があるから。
②競技に携わる経験の長い人から知見を得る必要があるから。
③選手たちの意見を汲み取り、チームとしての意思決定を行う人物が必要だから。
この3つは、選手が兼ねることが公平性・中立性の観点から難しいはずだ。
そして監督がその役職を解かれるときは上の①②③のどれかが不足し、このままの体制では結果が出ないとチームの所有者に判断されたときである。
では、監督はなぜ選手とうまくやっていけないのか。先の2つの出来事を監督の存在理由の面から考えるとサッカー日本代表監督も日大アメフト部の監督も③(意思決定)が上手くできなかったからだと考えられる。
サッカー日本代表の場合は、選手たちの意思と監督の意思の乖離が大きかったように思える。
ハリルホジッチは少なくとも選手よりも目の前の1プレーのことよりはワールドカップのことを考えていたし、選手よりも長くサッカーに携わっている。一方で、プロサッカー選手も②の知見という面ではそれなりの蓄積がある。そしてそれが個々の意見を裏付けているのである。
ハリルホジッチの問題点は、個々のプロサッカー選手が持つ意見や、チームでの成功像をチームの意思としてまとめることができなかったことにある。そして選手もまた監督の決定に従うことができなかった。このことが、チームの結果に結びつかなかった。
日大アメフト部の場合は、
そもそも選手は大学生なのでアメフトに関する知見の量が少ないので、監督やコーチは②の知見を与える役割を全面的に担うことになる。その結果③の選手の意見を裏付けるものがなく、選手は確たる意見を持つことが難しくなる。
したがって監督の意見がそのままチームの意見となってしまうことが起こりうる。その結果として、「監督の言うことが絶対」のような専制君主制ができあがってしまうことがしばしばある。
今回のラフプレーは、そもそも監督の指導の方法が間違っていたことはほぼ間違いない。その上で監督が選手の意見をくみ取らずに、監督の意見をチームの意見のように扱い、選手はそこに何も疑問を持たないことに問題があると思う。
チームはチーム所有者のものであり、監督のものではない。したがって監督が絶対であることには絶えず疑問を持ち抵抗を示さねばならない。しかしながら、監督が合理的に判断を下す限り、選手はその方針に則って、最大限のパフォーマンスを発揮する努力をするべきである。
選手が明確な意見を持ち、監督は選手の意見を汲み取りチームの意思決定をする。
こういったチーム体制をしくことが、今の監督たちに求められていることだと思う。
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