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劣等感を越えて

人の話にすぐ反応することができない。聴力には問題ないのだが、理解して反応するのに時間がかかるのだ。
小学生の時から先生の話を聞いてもすぐに理解できず、キョロキョロ周りを見て動くように。すぐ反応できる同級生を見ては、自分に対して少しづつ自信を失っていった気がする。

数年前に『ファスト&スロー』(ダニエル・カーネマン著)を読んだ。
人間には早い思考と遅い思考があり、敵からすぐ逃げ生き延びるために基本は早い思考が優位なのだそうだ。ただそれは早く思考するために、これはこうだという決めつけ(錯覚)を産みやすく、それが偏見につながると書かれてあった。

私は人にあまり偏見を持たないほうだと思う。自信のなさからくるのかもしれないが、こういう考え方もあるんだと受け入れやすい。遅い思考が得意なだけと思うと少し自分に自信がついた。

ただ生き延びるためには不利だったように思う。仕事も物覚えが悪いのを隠す為に単純な仕事を好んだし、子育てという未体験の仕事は慣れないまま次々と先へ先へと進んで行き、劣等感を常に感じていた。

あれは誕生日の時だっただろうか。
「こんな自分でも45年も生きてきたなんてスゴクね!」
時には死にたいとまで思うほどだったが、スローな思考が死に伴う絶対的な痛みを想像させ、それを思い留まらせてきた。

つらい苦しいながらも生きてきた45年の歳月が急に味方になり、常に頭上に乗っかってた岩がパッカーンと割れ、絶対的肯定感が生まれた。(その当時SNS名を全肯定社会としていたほどだ)

それから数年が経ち私は自分の中の偏見を越えて別居母となった。
まだまだ周りに打ち明けたりは難しく、他のファミリーを見ると劣等感を感じてしまうが心のやすらぎを得た今の自分が好きだ。






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