わたしの母親の話

子供の時からわたしの母親は「産まなきゃよかった」が口癖だった。
彼女はとにかく短気で、わたしと妹たちは事あるごとに鼻血がでるまでビンタされていた。同じかそれ以上気難しい父親とは毎日のようにつかみ合いの喧嘩をしていた。不満があれば、我慢することなく店にいつでもクレームを入れていた。わたしの幼少期の実家は、たたかいのほのおが消えぬ修羅の家だった。

わたしが大学生の時、母親に癌が見つかった。決して初期ではないと告知されてから母親は変わってしまった。
白砂糖は毒だといってぜんぶ捨てられたし、当時わたしが興味を持って集めはじめていたアンティーク着物も骨董は悪いものがついてる、病気かわるくなったらお前のせいだと言われて捨てさせられた
(ほんとは捨てた振りをして手元に隠していた)
骨の太そうだった彼女の強靭さを粉々にして、彼女のおそれをほしいままに操るような病気が正直恐ろしかった。
癌のせいかはわからないかいつの間にかビンタはされなくなった。その後寛解になっても殴られることはもうなくなった。
そんな病気がひたすらわたしは怖かった。

ここまで読んでくださった方がいるなら、わたしは母親をひとつもうらんだりはしていないのということだけご理解いただきたい。彼女はただ、絶望的に子育てに向いていなかったのだと思う。「結婚したら子供を作って当然」「子供を立派に育ててこそ一人前」というような平成初期の風潮の中で、何の疑問も持たずにわたしたち姉妹を三人とも育ててくれた。冒頭の「産まなきゃよかった」は恨み言でも何でもなくて、自分の境遇への独り言だったのだと思う。
たったひとりの母親だし、きっと先立たれたら彼女のためにわたしは泣くと思う。
わたしには自信がない。子供を産んで育てて、立派な大人に育て上げる自信がない。
さいわい現代は私たちのような、選択的に子供を持たない夫婦も増えており、少しずつ既婚世帯の割合を占めはじめている。これは少子化対策の議論のテーブルにはそもそも載らない意見なのだろうが。

そういえば、久しぶりに電話で話した母にこの話をしたら、こどもは投資だからな、いなくても資本があればいいんだよと言っていた。
わたしの母親は、今もちょっと変わってる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?