幻想句集を読んで・壱(青嵐)

https://note.com/tadayou_k/n/n61c0a2502ab7
海月ただようさん主宰のネットプリント「幻想句集」に参加させていただきました。
妖しい句、シュールな句、うつくしい句が揃っているので、鑑賞文で少しだけご紹介できたらと思って記事にしました

蜜病のノウゼンカズラ歩き出す/「狂夏」赤片亜美さん
ノウゼンカズラは盛夏に、唇のような形の赤い花を無数につける。花は蜜を豊富に含んでいて、虫や小鳥を呼び寄せる。「蜜病」ということばに、官能的だけれどおどろおどろしい匂いを感じる。
歩き出す、という表現がユニークだと思った。鳥や虫を待つような淑やかさはそこにはなく、餌食をもとめてさまよう姿はホラー映画のようだ。夜の景色にも読めるが、真っ赤な花にはやはり夏の烈しい日差しが似合うし、その凄まじさが映えるように思う。
膿のような蜜を零しながら、ノウゼンカズラのあやかしが昼下がりをゆっくりと歩いてくる。むせ返るような蜜の匂いに抱きしめられたら、そのまま取りころされてしまいそうだ。

エリクサー薄めて配れ影の島/「水あるところ」有無谷六次元さん
影の島、という言葉にベックリンの「死の島」を思い起こす。真っ黒に塗りつぶされた要塞のような島へ小舟が吸い込まれていく陰鬱な風景画だ。
凹凸の分からないほど暗い、まさしく影の島へ不老不死の霊薬(あるいはゲームの回復アイテム)エリクサーを配れと指示する主体は何者だろう。配る、という言葉から、それを受け取る島民がいるようにも読めるが、自然に伝播してゆくと読んだ。(影の島にはやはり、生物は存在しないように思われる)
ゆるゆるとエリクサーは水へ溶け、島の隅々へ拡散してゆく。それでも影の島に光がもたらされる日はないだろう。むしろさらに闇を深めて、異形だけがたどり着ける島へと密かに育ってゆく。寒色で描かれた絵画のような、真夏のひんやりとした怖さを感じる句だった。

新月に少女ふたりとすべり台/「醒めない」榎本ユミさん
「月」であれば、月夜の公園の幻のような風景が浮かぶところだが、「新月」になっているのがこの句のミソであるように思える。退廃的な、タイトルの通り、醒めない夢のような。
中七は「少女ふたりがすべり台で遊ぶ」にも、「少女ふたりと主体がすべり台で遊ぶ」にも読める。繰り返し読めば読むほどふたつの句意が重なり合い、シャッフルされていく酩酊的な心地よさを感じた。
新月の闇のなか、音もなくすべり台で遊び続けているふたりの少女。それを物陰から眺めていた主体も、いつの間にかふたりに加わって延々と滑り台で遊び続けている。次に月が現れるまで終わらない遊びになりそう。

尾なびかせ麒麟駆けぬく夏の空/「神獣の夏」小澤ほのかさん
一読して、からりとした夏空に麒麟が駆け抜けてゆくさわやかな景色を想像した。
神獣である麒麟は穏やかな性格で、虫や植物を踏み殺してしまうことを恐れるという。だからこそこの句では地上を離れたのかもしれない。
実景として見ることのできない(架空の動物であるから形態も句から想像することしかできない)、麒麟の尾がひらひらと靡いているシーンは何の象徴だろうか。なにかメッセージ性のある旗印のようにも読める。
不必要な殺生がつづくのを諭すように、人間界から広く見えるように、麒麟が空をかけてゆく。地上のにんげんたちには見えているだろうか。

肺魚飼う四畳半を二分して/「燃える世界」川合大祐さん
肺魚は体長1メートル以上にまで成長するので、水槽で飼われているというより、古いアパートの湿った畳の上でぬらりと這っている姿を想像した。
二分して、という表現からはペットとして可愛がっている様子はあまり感じられない。むしろ、主体とこの肺魚の間には見えない境界線のようなものがあって、それを侵さないように互いに生活しているようだ。餌やりや掃除などの身の回りの世話に、猛獣を手懐けるようなスリルを味わっているのかもしれない。
中六の不穏さから想像すると、たぶん肺魚は日に日に大きくなっている。二分されていた部屋は三分の一に、四分の一になり、主体はどんどん部屋の隅に追いやられてゆく。
誰かがドアを開けたとき、そこに主体の姿はなく、部屋いっぱいに成長した肺魚がのたうっているかもしれない。

夏虫が反魂香に寄ってくる/「すぐそこに」小川けいとさん
虫は香の煙から逃げていくものだが、この句では逆に引き寄せられてくる。焚けば死者の幻が見えるという反魂香の力だろうか。
「夏虫」は季語としては蛾や蛍を指して使う句が多いが、この句では夏の昆虫、それも蜻蛉や揚羽蝶などの水辺を飛ぶ虫たちに思えた。煙のゆらぐ姿は波打つ水面のようだし、羽のある虫たちは昔から霊魂の象徴とされている。
反魂香の煙の渦へ、吸い寄せられるように虫たちがやってくる。その真ん中へ死んだはずの人の顔が仄かに浮かんでくる。すっと汗が引くような情景が浮かんだ。
香が燃え尽きた時、幻も夏虫たちも消え失せて、主体はたった一人で夢の余韻のかおりに包まれているのだろう。主体の記憶を追体験するような、不思議な読後感のある句だ。

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