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【期間限定公開】 なぜ「スプラッシュマウンテン」はリニューアルすることになったのか

ディズニーランドのアトラクション、スプラッシュマウンテンがテーマを変えることになりました。これまでテーマにしてきた映画『南部の唄』(1946年)がBlack Lives Matter(黒人の命も大切だ)運動のなかで問題になったからです。しかし『南部の唄』は長らく再上映やDVD発売がない「封印」された映画でした。観ることができないので、いったい何が問題なのか、わかりません。
そこで、拙著『最も危険なアメリカ映画』の『南部の唄』についての章を公開します。理解の助けになれば、と思います。
                              町山智浩

『最も危険なアメリカ映画』(集英社文庫)
第5章 スプラッシュ・マウンテンの「原作」は、禁じられたディズニー映画

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『クーンスキン』Coonskin 1975年
監督 ラルフ・バクシ
脚本 ラルフ・バクシ
出演 フィリップ・マイケル・トーマス、バリー・ホワイト、チャールズ・ゴードン
『南部の唄』Song of the South 1946年
監督 ウィルフレッド・ジャクソン(アニメ)、ハーブ・フォスター(実写)
脚本 ダルトン・レイモンド他
出演 ボビー・ドリスコール、ジェームズ・バスケット

⦿タランティーノの献辞

 クエンティン・タランティーノは『ジャンゴ 繫がれざる者』(2012年)で、多くの映画人にスペシャル・サンクスを捧げている。1970年代ブラック・ムービーの革命だった『黒いジャガー』(71年)の監督ゴードン・パークス、主演リチャード・ラウンドトゥリー、音楽アイザック・ヘイズ、血みどろスローモーション銃撃戦の元祖サム・ペキンパーなど、名前を見れば『ジャンゴ』への影響がすぐにわかる。
 その献辞の中にラルフ・バクシの名前がある。バクシはロバート・クラムのヒッピー漫画をアニメ化した『フリッツ・ザ・キャット』(72年)や、アニメ版『指輪物語』(78年)で知られるアニメーション作家である。どこに『ジャンゴ』との関わりが?
 実はバクシには黒人ギャングを主役にした『クーンスキン』(75年)という日本未公開作がある。タランティーノは昔からこの映画のファンで、上映会を開いたり、カンヌ映画祭で解説したこともある。
 ただ『クーンスキン』はアメリカでもほとんど知られていない。差別的な映画とされて黒人の人権団体に上映反対運動を起こされ、小規模の公開で終わったからだ。
『クーンスキン』は、「アニメ界のバッドボーイ」と呼ばれたバクシが、ディズニー映画『南部の唄』(46年)への挑戦として企画した。その『南部の唄』も人種描写に問題があるという理由で、現在もDVD化されていない。

⦿スプラッシュ・マウンテンの「原作」

ディズニーランド遊園地にはスプラッシュ・マウンテンというウォーター・シューターがあるが、これは『南部の唄』をテーマにしたアトラクションだ。
『南部の唄』は、ジョエル・チャンドラー・ハリス(1848~1908年)の『リーマスおじさんの唄と言葉/南部農園のフォークロア(Uncle Remus, His Songs and His Sayings: The Folk-Lore of the Old Plantation)』(1881年)の映画化である。
 ハリスはアイルランド移民の子として南部ジョージア州に生まれた。南北戦争が始まった翌年の62年、ハリスは十四歳でローカル新聞「カントリーマン」の印刷工見習いとして働き始めた。
 その新聞の発行人は綿花農園の経営者だった。ハリスは仕事以外では、農園の黒人奴隷たちに混じって生活した。当時、ポテト飢饉によってアイルランドからアメリカに脱出する移民が増えていたが、彼らは極端に貧しく、白人の最下層に置かれていた。アイルランド移民は農園でも小作人や奴隷の監視人として、白人地主の下で生活していた。そのため、ハリスも黒人奴隷たちを身近に感じていたらしい。
 ハリスはそこで、黒人奴隷の老人たちから、昔から口承で伝えられてきた民話を聞いて集めた。後に新聞記者になったハリスは集めた話を、コラムに書いた。その際、物語の語り部としてリーマスおじさんという架空の黒人奴隷を設定した。ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』(1851年)にヒントを得たものだという。

⦿賢いウサギと馬鹿なクマ

 リーマスおじさんのお話の主人公になるのは、ブレア・ラビットという野ウサギ。ブレアは「ブラザー(黒人同胞)」の南部訛り。リーマスおじさんの話は徹底的な南部の黒人奴隷の言葉で書かれている。Says(言う)は sez、the は de になる。
 ブレア・ラビットは常日頃、ブレア・フォックス(キツネ)とブレア・ベア(クマ)に狙われている。もちろん捕まえて食べるためだが、ブレア・ラビットはいつも頓智を使ってフォックスとベアを翻弄する。たとえば、ラビットはフォックスが仕掛けた罠にはまって抜け出せなくなる。どうしよう、と嘆いていたラビットは、ベアが通りかかると急に楽しそうにする。
「ウサギどん、なんで楽しそうにしてるんだい?」
「いや、こうしてるだけでお金が儲かる仕事なんだ。笑いがとまらないよ」
 ベアはこの物語では頭の回転がよろしくない。
「へー、いいなあ」
「なんなら、クマさん、僕と交代する?」
 ベアは喜んでラビットの罠を外して、自分がハマってしまう。
 この話は、マーク・トゥエインの『トム・ソーヤーの冒険』(1876年)にもヒントを与えている。フェンスのペンキ塗りをやらされたトムが「なんて楽しいんだろう」と言って、他の友だちにペンキを塗らせてしまうエピソードだ。トゥエイン自身、リーマスおじさんの話には大きな影響を受けたと認めている。
 ブレア・ラビットの話では「タール・ベイビー」が最も有名。ブレア・フォックスは石油や石炭から作るタールを使って人形を作り、服を着せて道端に置いておく。もちろんラビットを捕らえるためだ。タール人形の前を通りかかったラビットは「こんちは」と挨拶するが、人形は返事をしない。
「この礼儀知らずめ!」
 怒ったラビットが人形をどつくと、手がタールに搦め取られて抜けなくなった。もがけばもがくほど深みにはまる。そこにブレア・フォックスがやって来る。
「とうとう捕まえたぞ! バラバラにして食ってやる!」
 そう言ってラビットにくっついたタールを取って、食らおうとする。ラビットは哀れに泣き叫ぶ。
「食べられるのはしかたがありません。でも、どうか、お願いですから、あの茨のしげみにだけは投げ込まないでください!」
 それを聞いたフォックスは「そんなに嫌なら、やってやる!」とラビットを棘だらけの茨に投げ込む。すると茨の中から笑い声が聞こえる。
「僕は茨の中で生まれたんだよ! ありがとうね!」
 この賢いウサギの話は、黒人奴隷たちの故郷アフリカまでたどれるという。ウサギは敵から逃げるとき、ランダムに方向を変えて、追手を翻弄するという。そこに人は、弱い者が知恵を使って強い者を困らせる痛快さを見たのだろう。狩人をからかうウサギのキャラは、確実にバッグス・バニーの原型にもなっている。
 機知とユーモアに富んだ物語を語る黒人奴隷リーマスは、古代ギリシャの奴隷だったイソップと通じるものがある。迫害される者たちがサバイバルのために育てた知恵を継承していったのだ。

⦿ユートピア物語としての『南部の唄』

 この『リーマスおじさんの唄と言葉』を原作とする『南部の唄』はディズニー初の実写長編映画である。
 主人公は七歳の白人少年ジョニー。彼の両親は離婚の危機にあり、母はジョニーを連れて、実家である南部の農園に帰ってくる。
 両親の不仲で落ち込むジョニーを白人の貧しい農民の子どもたちがイジメる。孤独なジョニーは家出しようとして黒人居住区に迷い込む。彼に優しくしてくれたのは、黒人少年トビーとリーマス老人だった。老人はブレア・ラビットの楽しい話をしてジョニーを元気づける。
 このリーマス老人の話がアニメーションになる。アニメによる風景に実写のリーマス老人が合成され、実写の風景にアニメのブレア・ラビットが合成される。この技術は後に『メリー・ポピンズ』(1946年)で最大限に活かされる。
 ジョニーは自分をイジメた少年たちの妹ジーニーと仲良くなるが、少年たちに邪魔され、殴り合いのケンカになる。リーマス老人が止めに入るが、ジョニーの母親は息子がリーマスと親密にしていることを嫌がり、ふたりが会うことを禁じてしまう。
 自分がいるとジョニーに迷惑になると思ったリーマスは村を出ようとする。それを追って駆け出したジョニーは牛にはねられて昏睡状態に陥る。父も駆けつけたが意識は戻らない。しかし、リーマスがジョニーに話しかけると奇跡が起こったように、ジョニーは意識を回復する。これで両親は和解し、元気になったジョニーとジーニーとトビーが仲良く遊ぶのを、リーマス老人が優しく見守って物語は終わる。

⦿あり得ない南部ユートピア

 『南部の唄』が公開されると、南部における人種隔離政策の撤廃と黒人の選挙権を求める市民団体NAACP(全米黒人地位向上協会)は、全米の有力紙にこのような表明文を送った。「この映画は奴隷制度の危険な美化を助けるものである。リーマスおじさんの美しい民話を利用して、主人と奴隷の理想的な関係を印象付けているが、それはまったく事実を歪曲している」
 これに対してディズニーは、『南部の唄』の時代設定は南北戦争の後であり、リーマス老人もトビーも奴隷ではないと説明した。しかし、実際に観てみると、そのへんは実に曖昧だ。
 時代が南北戦争の後であることを示す具体的な描写はない。逆に画面だけを見ると南北戦争前にしか見えない。実際は戦争後、奴隷が解放されたために、タダの労働力を失った綿花農園は解体していったのだが、『南部の唄』のジョニーの祖母の農園は豊かで、夕方になると、黒人たちが行列を作って農地から自宅に帰る。どう見ても解放前の風景だ。
 ただ、解放前ではあり得ないのが、言葉だ。ジョニーの親たちはリーマス老人に対して白人に対してと同じ言葉で接する。リーマスも白人に対して卑屈な態度はとらない。また、ジーニーの家はどう見てもジョニーの土地で働く小作人なのだが、地主のお坊ちゃまであるジョニーを特別扱いしない。
 つまり『南部の唄』が描く南部は、白人地主、小作人、奴隷という主従関係が平等に暮らす、どこにも実在しない不思議なユートピアなのだ。
 これは『風と共に去りぬ』(1939年)の大ヒットで始まった古き良き南部のロマンティサイズ(美化)の延長線上にある。実際、『風と共に去りぬ』で、スカーレット・オハラの頼りになる乳母を演じてアカデミー助演女優賞に輝いたハティ・マクダニエルがここでもジョニーの乳母を演じている。
『南部の唄』はリーマス老人役のジェームズ・バスケットが歌う「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー(Zip-A-Dee-Doo-Dah)」がアカデミー主題歌賞を受賞し、その後、56年、72年、80年、86年と四回、アメリカで再公開されたが、米国内では一度もビデオ化されなかった。2010年、ディズニーはDVD化を検討すると発表したが、結局、実現しなかった。

⦿ブラザー・ラビットが大暴れ

「Fuck You!」
 ラルフ・バクシの『クーンスキン』は、黒人がいきなり観客に向かって「ファック・ユー」と毒づいて幕を開ける。
 彼の隣の黒人はこんなジョークを話す。
「知ってるかい? 今まで、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジから飛び降り自殺した白人は三百五十人もいるんだと。でも、黒人はふたりしかいなかった。ひとりは突き落とされたんだけどね」

 ラルフ・バクシの前作『フリッツ・ザ・キャット』はアメリカ映画史上初めて成人指定を受けたアニメーションだった。ヒッピーたちに人気があったロバート・クラムのアングラ漫画が原作で、ニューヨークはヴィレッジに暮らす猫のフリッツが主人公。グループ・セックスやドラッグなど流行りものに何でも手を出す軽薄な猫で、最後は反体制運動家に混じって発電所爆破までやってしまう。
 黒人(カラス)と警官(ブタ)が衝突していると米軍が戦闘機で鎮圧する。それを「アメリカ万歳」と応援する影はどう見てもミッキー・マウスとドナルド・ダック!
 アメリカを象徴する文化ディズニーへの反発心丸出しの『フリッツ・ザ・キャット』を当時の若者たちは支持し、大ヒット。バクシは次作をハリウッド大手のパラマウントで作ることになった。プロデューサーは『ゴッドファーザー』(1972年)をメガヒットさせたアルバート・S・ラディ。
 バクシは黒人についてのアニメを作ることに決めた。当時はブラック・パワーの時代だった。黒人過激派団体ブラック・パンサーが武力で黒人革命を起こそうとした。音楽ではソウルやファンクがブームになり、ファッションではアフロヘアーを白人までマネした。そして映画では『黒いジャガー』の大ヒット以来、おしゃれでタフでセクシーな黒人ヒーローが悪い白人たちを片っ端からやっつけるアクション映画が人気だった。金儲け目当てで粗製濫造されたので、ブラックスプロイテーション(黒人搾取映画)とも呼ばれた。
 バクシはユダヤ系移民としてニューヨークで育ったが、貧しかったため、幼い頃から黒人のスラム街で暮らした。学校でバクシ以外は全員黒人だったこともある。そのため、黒人文化はバクシの骨の髄まで沁みていた。

⦿ニューヨーク版『南部の唄』

 バクシは、ディズニーの『南部の唄』をニューヨークの黒人文化の中心地ハーレムに置き換えたシナリオを書き、『ハーレム・ナイツ』と名付けた。しかし、プロデューサーのラデイは「もっと物議を醸すタイトルに変えろ」と言って、『クーンスキン』と改題した。クーンスキンとはアライグマの皮のことだが、クーンは黒人の蔑称でもある。
『クーンスキン』は、『南部の唄』と同じく、実写ドラマから始まる。刑務所から脱獄した黒人青年ランディ(『マイアミ・バイス』のフィリップ・マイケル・トーマス)が、仲間が助けに来るのを待っている。仲間は、世界一セクシーな声のシンガー、バリー・ホワイトと黒人で初めてピュリッツァー賞を受賞した劇作家チャールズ・ゴードン(1925~95年)。
 いくら待っても仲間が現われないので焦るランディを、一緒に脱獄したパピー(父っつぁん)がなだめる。パピー役は歌手のスキャットマン・クローザース。後にスタンリー・キューブリックの『シャイニング』(80年)で超能力を持つ老人を演じた。
 パピーはウサギとキツネとクマの話を始める。ここからアニメが始まる。ただし、三匹ともブラザー(仲間)だ。ブラザー・ラビット(声:フィリップ・マイケル・トーマス)、ブラザー・フォックス(声:チャールズ・ゴードン)、ブラザー・ベア(声:バリー・ホワイト)は南部で白人保安官を殺してしまい、ニューヨークの黒人街ハーレムに逃げてくる。

 三匹のブラザーは、ハーレムで、次々と現われる黒人の敵たちと戦う。
 最初の敵は、黒人革命を掲げる教祖「ブラック・ジーザス」。ステージの上では「白人どもを殺せ!」と言いながら、拳銃でニクソン大統領やエルヴィス・プレスリーやジョン・ウェインの写真を撃ち抜いて黒人の聴衆を熱狂させる。ラビットは、こいつの本当の目的が同胞から金を搾取することでしかないと見抜くが、逆に捕まってしまう。するとラビットは突然情けなく慈悲を乞い始めた。
「お願いですから、窓から投げ捨てるのだけは勘弁してください」
 それを聞いて、用心棒が投げ捨てるとラビットはまんまと逃げ出す。ブレア・ラビットの茨のしげみと同じだ。ラビットは拳銃を持って戻ってきて教祖たちを皆殺しにする。
 次の敵は、黒人を虐待する刑事マディガン(アイルランド系)。三匹は美女を利用してマディガンを酔い潰し、彼が眠っている間に顔を黒く塗って銃を握らせて路上に捨てる。警官たちは彼を黒人だと思って射殺する。
 最後の敵はマフィアのゴッドファーザー。これが『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランドを醜くした容貌で、『ゴッドファーザー』と同じくソニーという息子がいる。マフィアたちはボクシングの試合を観に来たラビットをナイフで襲うが、それはタールで作られたタール・ラビットだった! 身動きできなくなったマフィアたちはあっさり始末される。

⦿しょせんミス・アメリカの手の平の上

 ブラックスプロイテーションは、ヤクザ、ヤク中、ヤクの売人、ポン引き、売春婦など、黒人の負のステレオタイプばかり登場させるので偏見を助長するだけだと、アフリカ系の市民団体から激しく攻撃されていた。『クーンスキン』も同じように抗議運動の標的になった。とにかく「善い黒人」がひとりも登場しないうえに、分厚い唇や大きな歯をマンガ的に誇張した絵は黒人たちに不快感を与えた。ブラック・パンサーや宗教家などを辛辣におちょくったので、彼らからも批判された。タイトルも差別的だった『クーンスキン』はひっそりと隠すように公開されて、消えていった。
 しかし、『クーンスキン』は黒人だけでなく、ありとあらゆる集団を笑いものにしている。アイルランド系の刑事とイタリア系のマフィアは見た目も中身も腐りきった怪物として描かれている。ユダヤ系であるバクシは『フリッツ・ザ・キャット』でユダヤ教徒たちが、アメリカがイスラエルに軍事援助をすると聞いて狂喜乱舞するというギャグもやっている。
『クーンスキン』では最後に、彼らマイノリティ同士が殺し合いをしていたのは、ミス・アメリカの手の平の上だったことがわかる。ミス・アメリカは金髪に青い目で巨乳の白人美女として表現される、アメリカという国家の象徴である。

 すでに気づいた読者もいると思うが、『ジャンゴ 繫がれざる者』でジェイミー・フォックスがマヌケな南部白人タランティーノを口から出まかせで騙す場面は、このブレア・ラビットの頓智をやっていたわけだ。タランティーノはこんなところも妙に律儀だなあ。
『南部の唄』では、ブレア・ラビットとリーマス老人の知恵は白人の少年を救う。黒人が長い奴隷生活の中で培った知恵で、奴隷所有者の孫を救う話に白人観客たちは涙した。金持ち白人少年の孤独など、黒人奴隷二百年間の屈辱、1946年当時に南部の黒人たちが耐えていた差別に比べれば、屁みたいなものなのに。

⦿「ミンストレルマン」の怒り

『南部の唄』の主題歌「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」の歌詞は、「今日はなんていい日なんだ/すべてに満足だ」という能天気きわまりないものだが、『クーンスキン』でスキャットマン・クローザースが歌う主題歌(作詞ラルフ・バクシ)は、怒りをこめて黒人の歴史を歌い上げる。

おれはミンストレルマンだ
 おれは掃除夫だ
 おれは貧乏人だ
 おれは靴磨きだ
 おれはニガーだ
 踊るのをご覧あれ

おれは福祉の受け取りの列に並んでいる
 おれは炭鉱労働者の列に並んでいる
 石油掘削労働者の列に九歳の頃から
 今は質屋の列に並んでいる

おれの心には悪魔が潜む
 そいつだよ、見えるだろ
 進め ニガー 進め

おれは生まれつきブラックフェイスだ
 人種の一部なんだ

 ミンストレルとは黒人が道化を演じる見世物で、南北戦争前後に流行した。最初は黒人自身が演じていたが、そのうちに白人がブラックフェイス(黒く塗った顔)で、マヌケな黒人を演じて笑いを取るようになった。このため、現在では、ブラックフェイスは黒人への愚弄としてタブーになっているが、それはアメリカのポップ・カルチャーの語られざる原点でもあるのだ。

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