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Vol.4 昭和の価値観である「学歴信仰」が、今の時代のでも続く理由を考えてみる

こんにちは、KTです。

今回は、学歴について考えてみたいと思います。


「学歴」っていうのは、大学を卒業した後にもよく話題にも上がるし、

「学歴」がない人からすれば、

「学歴があれば、オレの人生変わったんだろうな〜」って、感じた事もあるんじゃないかと思います。


私も、学歴があればな〜と感じた事は、ありました。

ただ、すごい学歴ではありませんが、一般的にみると高学歴だと思います。

ただ、学歴で得られるメリットは、本当に就職の時ぐらいだったと思います。


私は、団塊の世代ジュニア世代なので、団塊の世代の両親に育てられています。

彼らのロジック、私の家庭の場合は、母親でしたが、

「お父さんみたいな生活ができるから、勉強をして、学歴が大事なんだ!」

そんな事を、小学生ぐらいから、ずっと言われていたと思います。


今も、東京では、中学受験は当たり前で、小学受験も一般的になっています。

私の子供は、小学受験をさせる予定はありません。

ただ、私の周りか半分ぐらいの人が小学受験をしていて、私立、国立の有名校に通わせています。

私は、小学受験をさせない理由は明確にあります。

それは、自分自身が都立の小学校に通い、中学受験をしました。

受験勉強も何かしらの自分の能力にプラスに影響しているんでしょうが、


実際に社会に出て感じるのは、

勉強ができる

知識がある


こう言った事よりも、別の要因で、仕事で結果が出る、出ないの境界線が決まっていると感じているからです。

例えば、マネジメントをする立場になって感じる事は、出世すればするほど、業務を全て把握する事ができなくなります。

どうやってマネジメントするか?って言えば、自分にとって、使いやすい、責任感を持って、判断して、ビジネスを回してくれる人に任せる訳です。

じゃあ、この任せる人は、どう決めるか?って言えば、

いろんな人と一緒に仕事をする、食事をする、そう言った事で、人を判断していく訳です。

任せる人を決める上で、「よく知っている」っていう項目を無視する訳じゃありませんが、一つの判断項目でしかありません。

知らない事を短期間で、「何が重要か本質を見抜く力」を、私の場合は、重要視します。

自分があまり知識がない分野で、「何が重要か本質を見抜く力」を磨くのは、学校の勉強、受験勉強では、あまり身につかないと思っています。


学校の勉強、受験勉強は、大人が「この勉強が必要」って決めてくれます。

だけど、ビジネスで起こる問題って、「問題」って事すら気付かないし、

何が「問題」か?って、部分から、もうセンスが関係してくるんですよね。


こう言った「センス」は、どこで身につくか?

私自身の考えとしては、自分自身の人生を振り返ったり、子供の成長をみていると、答えがない「子供同志の混沌とした遊び」の中が、1番の経験のような気がします。

子供同士の遊び方を見てみると、みんなやりたい事が違っていて、だけど、最終的に何の遊びをするか決まっていくんですよね。大人の会議なんかよりも意思決定を必ずしてるんですよね、子供たちって。

じゃあ、鬼ごっこをした後に、だるまさんが転んだをしようとか、この間、この鉄棒をやったから、今回は、サッカーをしようとか。

何かしら、話し合ったり、喧嘩したりして、意思決定をしています。

おそらく、その場では、いつも言い分を通している子供、いつも泣き寝入りする子供がいるはずです。

そこで、子供はいろんな感情を持ち、工夫をしてなんとかしたいと思う子供、その状況を受け入れる子供。

様々な感情と思惑が、交差しているんだと思うんです。


今は、子供が遊ぶときに、親が監視しているし、何かあれば、学校にすぐに文句を言う親もそれなりにいます。

子供の世界に大人が介入する事で、子供たちは、大人に泣きつけばなんとかなると学びます。

だけど、社会に出て、ビジネスに出てしまえば、自分でなんとかしないといけません。

この事を、大人が認識していない、大人が気づかないようにしている。

私は、そう思っています。


ここで、テーマに戻ります。

結局、昭和の強烈な信仰であった「学歴」

昭和が終わり、平成も終わり、令和に入っているにもかかわらず、学歴信仰はなくなっていません。

これは、大人が子供に対して、「どう生きればいいか?」を、その親なりの解釈で教えられない事が関係しているような気がしています。

今の時代、子供にどうやって生きていけばいいか?

私なら、こう答えます。

「パパも困ってるから、わかんないな〜 今、自分がやりたい事を思いっきりやってみれば?飽きたら、次の事をやれば?」

こんな回答を子供にはしています。

プラス、

「サラリーマンは、パパみたいに特別な才能がない人がする仕事で、子供の時は、好きな事をすればいいんじゃない?」

こんな事も話をしています。


もっと、暴論を言ってしまうと、

大人だから、回答を持ってないといけない。

だけど、我々大人も、これからの世の中、どうすればいいかなんかわからないんですよね。

わかっている!っていう人がいれば、それはウソです。

仮に、今の時点で、大人はこういう生き方をすればいい!っていうのがあっている場合、みんながそうします。

みんながそうすれば、同じようなスキル、能力を持った人が増え、その人の価値は、人材の供給量が多くなりすぎて、価値は下がります。

だから、大人が子供に対しての気負いが、今の学歴信仰になってるんじゃないかな?って話が、今回のテーマです。

ビジネスをしている人なら、必ず直面してると思うんです。


知識はすごいあるんだけど、なんか一緒にこいつと仕事をしたくないな・・・

学歴が高くて頭がいいはずなんだけど、視野が異様に狭いなって・・・


これは、学歴が高い人でも視野が広い人もたくさんいるんですが、学歴が成功をするための条件ではないっていう事実に直面したことがあるって事ですよね?





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