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旭観音堂!その名の由縁はやっぱり…
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ここまでのあらすじ。
車を洗馬駅に駐車して電車で戻ったみどり湖駅を出発した旧中山道クロスバイク行。「塩尻峠の戦い」の首塚を経て塩尻峠の麓永井坂からいよいよ中山道に入りました。
「その1/みどり湖事件」へのリンクはこちら
柿沢高札場跡
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中山道永井坂は由緒ある古道の風情を残す街並みが美しい。気持ちよくスイスイと自転車を流していたら史跡の高札場を通過してしまった。行きはよいよい帰りはこわい。急こう配の坂を戻る。
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柿沢村の庄屋上條某が設けた高札場。屋根の裏側に掲げられた案内には、大正3年に大改修、さらに平成20年柿沢区が塩尻市の補助金を得て改築とある。平成の改築は丁寧になされたようで、大正の部材が多く保存されているようだ。
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永井坂を下りきると下柿沢の交差点だった。実はここからは妻のドレミの通勤路である。高速代は手当てされないので、塩尻まで片道1時間40分の道のりを毎日一般道で通勤している。部活の顧問もしていて慢性的な残業を抱え、帰りは20時、21時になる。見ていられないので週に1回はボクが送迎するようになった。その日に限っては助手席でぐーぐーと眠らせてやることができる。ボクは朝日村や安曇野あたりで写生をして、退勤時間にまた迎えに行くという寸法である。
国道20号と153号が19号とぶつかる塩尻中心街の交差点は朝夕渋滞が激しいので通勤路はそれを避けて塩尻峠を下ったところで20号を南に離れて抜け道をゆく。今朝もここを通ってドレミを送ってからのバイク行である。送迎するようになってすぐにこれが旧中山道と気づいた。そこから計画した今回のバイク行である。
永福寺
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木曾義仲ゆかりの寺である。もっともこのあたりから木曽路にかけて、義仲ゆかり「でない」寺や神社を探す方がタイヘンかもしれない。そんな中でも永福寺はワンランク上に差別化される。なんと行基の作と言われる馬頭観音を本尊として、1521(大永元)年に義仲の子孫木曽義方が義仲の菩提を弔うため創建したという大胆な縁起を持っているのだ。義仲が木曽駒を愛し、馬頭観音を厚く信仰したことは広く知られ、以て神通力を得ていたという伝説まであるくらいだから、行基の馬頭観音を尊崇したことはあり得るというわけだ。寺は江戸時代の火事で全焼したので残念ながら観音像もそのとき焼失してしまって今はない。
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観音堂は現在地への移転を機に地域ぐるみで再建された。棟梁は当時の社寺建築士界の第一人者であり、芸術的な彫刻で名を馳せた二代立川和四郎内匠富昌。1855(安政2)年に着工されたが、完成間近の翌年11月、富昌は仕上げの彫刻用材として大欅の枝を下ろす作業中に落下した枝の下敷きになって亡くなった。享年74歳。永福寺観音堂はこうして江戸末期の名工の遺作となった。現在は市の有形文化財だがもし彼の彫刻が残っていれば重文確実であったろう。
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その名も旭観音堂(木曽義仲は征夷大将軍となり旭将軍と異名を取った)!
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脇に立つ馬の銅像に輝くは笹竜胆紋(源氏の家紋。源頼朝は義仲が使用したことを嫌って白旗無紋としたとの説あり)!!高まる義仲ムード!!お!お堂の正面に何やら真新しい貼り紙。
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あ、そういうことでしたか。それではと、無職の身ながら財布にあったいちばん大きいコインを箱に投入、かしわ手打ってドレミの通勤安全を祈願した。
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境内を掃いているボランティアらしき女性がその所作をずっと見ている。ん?…ああ!
「ヘルメット取るの忘れてた。」
「大丈夫よぉ。神さん、気になさらない。」
「そ、そうでしょうか。暑い中、ご苦労さまです。」
曇天のサイクリング日和のはずが、予報が外れて日差しが出てきた。盆地の気温は徐々に上昇中である。
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仁王門は明治になってからの建立ではあるが、棟梁は立川富昌の弟子で下諏訪の立川種清。
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