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老婆は東京ドームの夢を見る

祖母が東京に来た。雪が降ったら埋れてしまうような田舎の山奥から、飛行機に乗って来た。10年ぶりの東京。リュックサックをひとつだけ背負って。たったひとりで来た。水道橋、東京ドームへ。巨人戦を観に来た。祖母は大の巨人ファンである。

チケットは父が手配した。「いちど本物の東京ドームを見せてあげたかったんだ」と父は言った。だからってこんな時でなくても、とは思うが、去年急死した祖父のことを思うと何も言えなかった。流行り病も怖いが、誰も明日まで生きている保証なんてない。祖母も、父も、わたしだってそうだ。

だから無理にでも会いに行く。仕事は少し残っていたが、休みが取れたのは幸いだった。東京ドームホテルのだだっ広いロビーで、今日中に終わらせなければいけない発注を入力しながら祖母を待った。昼間のホテルには優雅な空気が流れていた。楽しそうな家族連れがわたしの前を通り過ぎて行く。

しばらくすると、祖母と父の声が遠くから聞こえて来た。祖母はわたしの顔を見ると「よく来たね」と言った。その声が記憶通りであることになぜか安心した。祖母は何もかもを珍しそうに見ていた。父がエレベーターの乗り方とカードキーの使い方を指南した。高速のエレベーターはガラス張りで、外を見ていたら少し酔った。

みんなでドームの周りを散策した。祖母は「東京ドームってほんとうに丸いんやねえ。いつもテレビで見とるから、もっと平らかと思っとった」と笑った。ジェットコースターやスカイフラワーを興味津々に眺めていた。おばあちゃん幸せやわあ。ほんま、ありがたいわ。せなちゃんも、来てくれてありがとうね。そう繰り返して何度も言った。

ありがたい。ありがたい。わたしはそんなふうにありがたさを噛み締めたこと、最近あったかなと思った。家族がいること。夫がいること。健康なこと。好きな場所に住んでいること。好きな音楽を聴けること。こうして好きな文章を書いていること。どれもありがたいことだ。ほんとうはぜんぶありがたいことだ。なのにどうしてこんなにいつも。わたしはいつも、なにか物足りない気がしている。何が足りないのかもわからない。そんな自分が嫌になる。ふと急に、歳をとることは、すこしずつ感情が濾過されて、純粋なところに戻っていくことなんじゃないかと思った。祖母はわたしより50年おおく生きている。これから50年の間に、わたしには何ができるだろう。

喫茶店のテラス席で珈琲を飲んだ。曇っていたけど、雨ではなかった。祖母は晴れ女なんだと思った。わたしは雨女だ。この日の少し明るい曇り空のこと、わたしはこれからも忘れないだろうと思った。

わたしはチケットを持っていないので(野球にもそんなに興味がない)、入場ゲートで祖母と父を見送った。最近痩せた父の背中はどことなく祖父に似ていた。今日だけはどうか巨人が勝ちますように。たくさんホームランを打ちますように。わたしは祈った。自分にとっては当たり前のワンゲームも、誰かにとっては一生に一度かもしれない。だからいつも全力でやるんだ。昔、そんなことを言っていた野球選手がいたと思う。誰だか忘れてしまったけど、今日もどうかそうであってほしい。

帰りの電車に揺られながら、今夜あのぴかぴかな東京ドームホテルで眠る祖母のことを思った。何十年もテレビでしか見たことのなかった東京ドームのそばで眠る。いったいどんな気持ちなんだろう。きっと夢みたいな心地がするだろう。上下するパラシュートを見てはしゃぐ祖母はなぜか少女のように見えた。祖母にコーヒーを買ってあげる父はなぜか授業参観の日の子どもみたいに見えた。大人になるとはじめて、大人と子どもは案外地続きであることがわかる。

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