クリティカル・ビジネスを生み出していく上での教育上の課題

Twitterにも書きましたけど、去年の夏からずっと書き続けていた「クリティカル・ビジネス・パラダイム」をやっと脱稿しました。まだ校正刷りにたくさんの修正を加えていくことになるのですが、入稿の段階で、構成の都合やボリュームのバランスを取るためにボツにした箇所・・・でも、それなりに面白いのになあと思える箇所を、少しずつこのNOTEで共有していきたいと思います。知的生産物の廃物利用ですね。ということで、まずは教育問題に関する指摘で、以下がボツ箇所になります。

===================

「考えて生きる人」をどうやって増やすか

社会運動・社会批評としての側面を強く持つビジネス=クリティカル・ビジネスを日本からもっと生み出していくためには何が課題か?

様々な角度で議論できるテーマだと思いますが、クリティカル・ビジネスが、原理的に、現時点で多数派の人が当たり前だと考えているシステムに対して批判的に考察し、現状とは異なるオルタナティブを提案することで成立することを考えれば、まずはなんと言っても

考えて生きる人を増やす

ということが大きな課題になってくると思います。

このような指摘に対しては「誰だってそれなりに考えて生きているだろう」と思う人もいるかもしれませんが、私がここで言っている「考える」というのは、そういう意味での「考える」ではないのです。

フランスの文学者、ポール・ブールジェが「考えて生きなければならない。さもないと、生きたように考えてしまう」という言葉を残しています。社会の規範や慣習というものを相対化した上で、自分の自由・行動・選択のもたらす影響について意識的に考察し、自分自身の人生を自分で主体的に選び取るという覚悟がなければならない、ということを言っているわけです。

クリティカル・ビジネスを社会から増やしていくためには、まずは何をさておいても「批判的に考える人=クリティカル・シンカー」を増やしてくことが求められます。

クリティカル・ビジネスのイニシアチブをとるアクティヴィストは、誰もが「当たり前だ」と信じて疑わなかった概念や「仕方がないから」と受け入れていた社会のあり方に対して、批判的眼差しを向け、現状の延長線上にはない未来、誰もがその時点では考えもしなかった未来像を提示します。

これは従来、哲学者やアーティストが担っていた役割ですが、このような素養をもった人物を社会全体で増やしていくことが必要なのです。

現在の教育システムは工業化社会のモデル

このような思考・行動様式をもった人を増やしていくことを考えた際、大きな課題になるのが学校教育のあり方です。現在の学校教育のあり方は、工業化社会において優秀とされる人材を育てることを目的に設計された明治時代のシステムをベースにしており、現状の社会の要請にはまったくフィットしていません。

工業化社会においては、先行する経験者の知識を効率的に吸収して再現することが求められますから、学校教育の力点は、正解を速く、正確に出せる人を育てることにおかれます。

しかし、この点はすでに拙著「ビジネスの未来」にて指摘した通り、現在の社会は、安全・快適・便利という点ですでに飽和した状態にあり、問題が希少化すると同時に正解が過剰な状況が生まれています。経済の基本的な原理を当てはめれば、希少なものの価値は向上しますが、過剰なものの価値は減少します。

さらに加えれば、現在は人工知能の進化が著しく、「過剰供給による正解の値崩れ」というトレンドは、今後ますます加速していくことになります。

つまり、現在の学校では、これからの社会においてどんどん価値のなくなるもの、つまり「正解」を作り出すための競争を、あたかもそれに大きな価値があるかのようにさせているわけです。

この欺瞞に対して、もっとも鋭い感度で反応しているのが子供達です。2023年10月4日、小中学校における不登校児童生徒数(以下、不登校児)が29万9048人となり、前年度から22.1%増加して過去最高の数字となった、と文部科学省より公表されました。

不登校児は平成を通じてずっと10万人強の水準で推移してきましたが、平成後期から令和に入って急激に増加しています。

出処:文部科学省(2023)「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」

この状況については、一般に「生徒をどうやって学校に来させるか」という論点で議論されがちですが、根本的にアプローチが間違っていると思います。

システムを改変させるためには「発言」と「離脱」の二つが重要だ、という指摘はすでに何度もしていますが、子供達はまさに「離脱」というオプションを選択することでシステムの不備・欺瞞を告発しているのですから、本来的に議論されるべきなのは「学校教育をどう改変して、子供達が行きたくなるような場にできるか」という論点でしょう。

カリフォルニア大学バークレー校の東アジア研究者、マイケル・ジーレンガーは、日本の、いわゆる「引きこもり」に関して、この行為が「体制に対するクソ喰らえの表明」であり、「日本社会に対するまったく理にかなった告発であり、官僚や政治家よりも遥かに日本の精神的危機の本質を把握している」と著書[1]で述べていますが、私もまったく同意見です。

このように考えてみると、不登校児たちは、学校教育システムからの「離脱」という選択によって社会に変革の圧力をかける社会運動のアクティヴィストなのだと考えることもできるでしょう。

教育改革に成功した北欧諸国

ここから先は

1,247字
この記事のみ ¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?