#011 若すぎる成功はなぜ危険なのか?

若くして成功することを夢見る人はたくさんいますし、ある意味でそれは健全でもあるとは思いますが「若すぎる成功」には大きな弊害があるので、あまり躍起になるのも考えものだと思っています。

というのも、人生の、早すぎるタイミングで脚光を浴びてしまうと、機会費用が高くなり過ぎることで、人生のこの時期に欠かすことのできない「幅の広いインプット」ができなくなり、その後のキャリアで泉が枯れてしまうようにアウトプットが細ってしまう可能性があるからです。 

この問題について考えた時に、いつも思い出してしまう二人のピアニストがいます。一人は米国のヴァン・クライバーン、そしてもう一人がイタリアのマウリツォ・ポリーニです。この二人の対比ほど「あまりにも人生の早い時期に名声を得てしまうこと」の危険性をわかりやすく示してくれている実例はありません。

1958年、当時東西冷戦の真っ只中にあったソ連が、科学技術における東側の優位をスプートニクで証明した後に、芸術面での優位を明らかにするために開設したチャイコフスキーコンクールの第一回で、満場一致で優勝したのがクライバーンでした。

ソ連としては当然に狙いが外れて真逆の結果になったわけで、審査結果に戸惑った審査委員長は当時の書記長だったフルシチョフに緊急電話を入れたそうですが、フルシチョフも大したもので「そいつが一番になったんだから仕方がねーだろ」と一言で認めてしまったそうですね。

この時、クライバーンの年齢は若干23歳。東西冷戦下のこともあり、凱旋帰国したクライバーンは熱狂的と言っていいブームを巻き起こし、一夜にして米国の英雄になります。

この直後にクライバーンがリリースしたチャイコフスキーのレコードは、ビルボードのアルバムヒットチャートの一位になりますが、クラシックのレコードがビルボードの一位にランクインしたのは、後にも先にもこのクライバーンのレコードだけですので、いかに当時の「クライバーン・フィーバー」がすごかったかが伺えます。

ところが、このクライバーンは、この直後から利益至上主義者の興行主に、まさにサル回しのサルのように全世界を引きずり回され、じっくりと時間をかけて音楽性を深めるような時間が取れなかったために、ピアニストとしては結局、大成できませんでした。

先日亡くなったピアニストの中村紘子さんは、1990年代にカムバックしたクライバーンの演奏を聴いた上で、その演奏がすでに批評の対象となるレベルにそもそも届いていないと嘆いた上で、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」というコメントを残しています。 

一方のポリーニはどうであったか? 彼は、クライバーンよりもさらに若い18歳の時、1960年のショパンコンクールで、こちらもやはり同様に満場一致で優勝します。

この時、審査委員を務めていたルービンシュタインから「審査員の誰よりも、すでに演奏テクニックという点では上」と評価されるほどに、そのテクニックは際立っていました。

さて、若干18歳で国際的な名声を獲得したポリーニですが、その後十年ほど、表立った演奏活動からは遠ざかり、隠とんしてしまいます。ではこの間に何をやっていたのか?なんとポリーニは大学で物理学を学んだり、やはり高名なピアニストであるミケランジェリに師事したりと、すでに世界最高水準にあったテクニックに加えて、人間としての幅、あるいは音楽性を深めるための研鑽を続けたのですね。

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