オッサンはなぜここまで劣化したのか?
最近の古いもんはどうなっているのか?
いつの時代にも言われる「最近の若いもんはどうなっているのか?」という嘆きはすでに古代の時代から囁かれていたようで、エジプトの遺跡にも同様の落書きが刻まれている、という話が柳田国男の「木綿以前のこと」にも紹介されています。
古代以来、連綿と「若者の劣化」が続いていたのだとすれば、現在の若者のレベルは悲惨なほどの低水準にまで落ち込んでいるはずなのですが、実際にはもちろんそのようなことには全くなっていません。
ということは、つまりこのような嘆きは、いつの時代にあっても、その社会の「古い者」からすると、若者というのは不道徳で危なっかしく見えるものだ、ということなのでしょう。
さて、ところが昨今の日本においては、上記の嘆きとはまったく反対のことが、いろいろなところで囁かれています。それはすなわち、
最近の古いもんはどうなっているのか?
という嘆きです。
公共の場で暴れるオッサン
皆さんもよくご存知の通り、昨今の日本では、50歳を超えるような、いわゆる「いい年をしたオッサン」による不祥事が後を絶ちません。例を挙げていけばキリがないので、ここではここ十年ほどのあいだに起きた「オトナの劣化」を象徴的に示す不祥事を確認するにとどめます。
日大アメフト部監督による暴行指示と事件発覚後の雲隠れ
財務省事務次官や狛江市市長などの高位役職者によるセクハラ
神戸市や横浜市の教育委員会等によるいじめ調査結果の隠蔽
財務省による森友・加計問題に関する情報の改竄・隠蔽
大手メーカーによる度重なる偽装・粉飾
これらの社会的事件の裏にも、「オッサンの劣化」を示す小事件は枚挙にいとまがありません。たとえば、各種メディアの報じるところによると、駅や空港、病院などの公共の場で、ささいなことに激昂して暴れたり騒いだりするオッサンが後を絶たない。
少し古いデータですが、平成27年に民営鉄道協会が発表した「駅係員・乗務員への暴力・暴言に関する調査集計結果」によると、加害者の年齢構成は、60代以上が188件と最多で、これに50代による153件が続いています。なんとまあみっともない。
一方で、一般に感情のコントロールが上手にできないと考えられがちな若者=20代以下の数値は16.0%となっていて全年代で最も少ない。
本来、社会常識やマナーの模範となるべき中高年が、些細なことで激昂して暴れているわけで、まったくこの世代の人たちの人間的成熟はどうなっているのだろうかと考えさせられてしまいます。
同様の傾向は他の交通機関・公共機関でも見られます。少し古い記事ですが日本経済新聞による報道を抜粋してみましょう。
春秋時代に活躍した中国の思想家、孔子は「論語」の中で自らの人生を振り返り、その50代・60代について次のように述べています。
これはすなわち、50代では自らが果たすべき社会的な使命を認識し、60代ではどんな意見にも素直に耳を傾けられるようになった、という意味ですから、まことに現在の中高年の人間的成熟のレベルの低さには暗澹とさせられます。
なぜオトナは劣化したのか
そもそも、なぜここまで「オトナ」は劣化してしまったのでしょうか。こういう世代論は実証的な検証が難しく、最後には不毛な「そう思う」「そう思わない」という水掛け論になることが多いので個人的にはあまり好きではないのですが、筆者が一点だけ、以前から何処かでちゃんと考えなければいけないと感じているのが、現在の50代・60代の「オッサン」たちは、「モノガタリの喪失」以前に社会適応してしまった「最後の世代」だという点です。
図1を見てください。
これは横軸に戦後から現在までの「年代」を、縦軸に20代から60代までの「世代」をとり、各世代の人々が、各年代において、どのような社会的立場で過ごしてきたかを示すものです。
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