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人生が後悔と喪失との戦いのように思えた時、

私にはひとつ信念めいたものがあります。

「それでも、人生は生きるに値する。」

今日は、それが一歩前進したよという、お話です。




私の敵


私には、明確な、敵がいます。

私です。

その昔、私は人生において取り返しのつかない過ちを犯しました。
他の誰の責任でもなく、甘い見通しに基づいた自分の判断の結果です。

その日からというもの、毎日が戦いです。
そして、たぶん、生涯、私は私を許すことがないのだと予感しています。

なので、私は休戦や許すという共存ができない敵です。

ここには選択肢が3つしかありません。

勝利、敗北、永遠の戦い。

残念ながら、私が私に勝利を収める未来が見えません。
なので、実際の選択肢は、敗北か永遠の戦いなのでしょう。

我ながら、めんどくさい人生を歩んでいます。

それでも、どうにか生きつないできました。

それはひとえに相方をはじめとする周囲の人々のおかげによるものです。


それでも、人生は生きるに値する


私は、いわゆるアラフォーですが、不惑なんてものには到達できていません。三十にして立ったかといえば、それもあやしいです。

そんなことから、あるいは私の短歌からもお分かりの通り、私は才には恵まれていません。

しかし、人だけには恵まれて生きてきました。

私が道を誤った時にも、相方、家族、友人は離れないでいてくれました。

そのことがどれだけ生きる力になったのか。想像を絶しており、私はまだ正確に測り切れていません。

繰り返しになりますが、私は特に何かに秀でた人間ではありません。人々がいてくれるのは、私の力によるところではないのは明白です。

だからこそ、思うのです。

「それでも、人生は生きるに値する。」

人生とは実に多様なものでしょうから、中には悪い人につかまる方もいるでしょう。「今」の時点では周りに良い人がいるとは感じられない方もいるでしょう。

それでも、です。

かならず手を差し伸べる、あるいは、横にいてくれる人はあらわれるものだと、信じています。そして、いつか、それを伝えていくことのできる人間人なれたら、と願っています。


人生が後悔と喪失との戦いのように思えた時、


そんな私の信念が、今日、というかついさっき、一歩前進しました。

その話をするためには、少し時を巻き戻さなければなりません。


2024年1月1日(月)に石川県能登半島を襲った地震。

色々な方が被災されたのは報道の通りです。そして、自身が直接あわれたわけではなくとも、ゆかりがあるがゆえに心を強く痛められた方々もいらっしゃいます。

そんなお一人に、高松美咲さんがいらっしゃいます。
マンガ、アニメで大ヒットした『スキップとローファー』の作者です。

同作が石川県珠洲市を舞台にしていることなどもあり、直後からチャリティの企画を実施されたり、色々な取り組みをなさっています。

その中でも、執筆の手を止めることなく、本日同作の最新刊である第10巻が発売されました。


その高松さんが10巻の最後に見開きで文章を掲載されていました。

その一文によって、私は一歩前へ進むことができたのです。


人生が後悔と喪失との戦いのように思えた時、
そればかりではなかったと思わせてくれる友人のような
ただ寄り添える作品になれたら幸せ

高松美咲『スキップとローファー(10)』講談社

「あぁ、そうか、こういう生き方があるんだな」

そう初めて知ったはずなのですが、それと同時に、それが言葉にしたかったことだとも感じました。

「それでも、人生は生きるに値する。」も悪くないとは思います。だけど、ずっとどこか押しつけがましい印象を自分でも持っていました。それゆえに、その言葉を掲げて生きていく、ということにどこか腑に落ちない部分がありました。

わだかまりがゆっくりと、しかし確実に溶けていくのを感じます。

残念ながら私には高松さんのような才はありません。

なので、高松さんの言葉をそのまま私の人生に適用し、生きていくことは叶いません。私はこの先、この言葉を咀嚼して、再構築して、自分の言葉にしなければなりません。

その先に、きっと新しい信念が待っているのだと思います。

そして、新しい生き方が。

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