桃太郎(塩野七生風)

やってみたかったのでやってみました。粗削り部分ばかりですので、是非ツッコミをください。

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マキャベリが指導者の素養として求めたヴィルトゥ(力量、才能、器量)、フォルトゥーナ(運、不運)、ネシェシタ(時代の要求に合致すること)に照らして考えると、歴史家たちの評価はヴィルトゥとフォルトゥーナの2点に焦点を当てたものが専らである。
しかし、私は歴史家ではないので、この「桃から生まれてきた」青年が後世に名を馳せる大器となるのは、ネチェシタによるものではないかと想像してしまう。
確かに、鬼を倒す力量はあった。自らの能力の不足を補う部下を得る(それも部下の方から彼の元にやってくる)運も持ち合わせていた。しかし、これだけでこの粗野で無鉄砲な村の青年が歴史に名を残せただろうか。

鬼がいた。これが彼にその力量を発揮する大義名分を与えたのだと、私は思ってしまう。「桃から生まれた」という噂話も、この青年のイメージアップに役立っただろう。ただ体躯の良いだけの農家の養子が、鬼を倒すために生まれた「桃太郎」として時代の求める唯一無二の武人を創り上げた。倒すべき鬼がいたことが、この青年を「桃太郎」たらしめたことは想像に難くない。

この人物については鬼を倒した以降の記録は全くと言っていいほど残されていないことも、この空想に拍車をかけている。桃太郎の鬼退治は、自らの目的を果たすと共に、自らの武力の正当性を失うものでもあった。