憧れの思想 Part1

【この本に書かれていること】


憧れのない生命は、人間の生命ではない。人間の尊厳とは、この憧れの中に存しているのだ。
私は本書において、それを語りたい。自分の生命にある生きた幸福と不幸を語りたいのだ。


私は憧れだけによって生きてきた。
それが、私に全ての幸福を与えてくれたと思っている。
それと同時に、全ての不幸をもたらしたに違いない。
その幸福と不幸を語りたい。憧れが生み出す不幸の中を、私はつんざいてきた。

私の幸福は、その不幸のなかに存するものであった。それを私は本書において語ろうと思う。憧れによって、幸福と不幸がもたらされ、その幸福は、不幸の中に存在していた。


私が本書を書いた目的は、読者が自己と対面することだけである。


→つまり、この本の通して、自分にとって憧れとは何なのか、そもそも憧れがあるのかということを考える機会。


なので、この本を通して自分と向き合いながら文を書いていこうと思います。


【肉体を顧みるな】

魂とは、肉体が逃げ出そうとする時、それを逃さない「何ものか」である。恐怖に立ち向かう勇気の淵源と見て差し支えない。その魂が慕うものこそを、私は憧れと言っているのだ。

憧れは、肉体が逃げ出そうとする時、恐怖に立ち向かう源である。


・自分にとって憧れとは?

→誰よりも結果で示せる人。誰よりも行動で完結できる人。誰よりも自分に厳しく、誰よりも自分の決めたことをやり通せる人がかっこよかった。そんな人に憧れた。何事も立ち向かい、限界を突破し続けて、誰よりも自分の時間を使って自分を磨いて磨いて磨き上げる人間に憧れた。

だから、そんな人間を目指す。


【現実的人間】

現実を見ない生き方が、垂直を生む。
それが、憧れを近づけてくれるのだ。
そして、現実を見ないことが、却って現実を科学的に判断する力を私に与えてくれる結果になったように思う。
私は、ほとんど現実社会にというものに興味がなかった。

「これが現実だよね。とはいっても、現実はそうだよね。」

という言葉には、自分も一切興味がない。
可能性が1%でもあるのであれば、信じたい。
そして、可能性が1%以上あると信じたい。

現実に満足した人間は、歩みを止める。
現実に満足しないから、理想に生きる人は、憧れを持ち、成長をし続けられるんだと思う。
現実を見続けても、現実は変わらない。理想に生きるからこそ、理想に近づける。


【捨て身の精神】


→憧れに向かうためには、「愚か」に生きなければならない。そして、愚かに生きた人々は、おしなべて憧れが生む自己の信念に対して、「捨て身」になれる人物だった。

真に自分の生命の価値を愛すれば、捨て身になれる。


ある今日の出来事。
達成に向かってずっと走ってきたが、どこか自分が達成しているだけで他の人の成果を奪ってしまっているのではと感じていた。
だから、今日は後ろに退いてみた。

すると、同期がこう言ってくれた。

「何やってるんだ。お前は、店で一番の数字を今まで責任を持って誰よりもやってきたんじゃないのか。誰よりも店で数字を作れる人間が、成果を出す行動をしていないことに対して、俺は納得がいかない。」

と言ってくれた。

そこから、改めて自分がやってきたこと、向き合ってきたことを考えてみて、
「何やっているんだ自分」
と心の底から思った。悔しくて悔しくてたまらなかった。それと同時に嬉しかった。

そこで感じたことをみんなに宣言をした。

「僕は、ここのお店にいる誰よりも、数字に責任を持ち、誰よりも高い目標を掲げ、誰よりも自分を磨き続けてきたし、数字に責任を持った生き方を毎日してきた。改めて自分は、商談に入るべき人間だと思う。だけど、今後もし、自分に1ミリでも陰りが見えたら、1ミリでもこいつ相応しくないなと、思ったら誰であっても言ってほしい。そう言われない毎日を送ってきたし、これからも送るつもりだ。そして、もし言われても、俺は腹のそこから自分の決めた毎日を生ききっていると、胸を張って言える毎日を過ごすので、力を貸してください」

と言った。

今まで自分の力だけで追っていた目標を更に高い目標を、力を借りて達成していくということはこういうことなのかなと少し分かってきた。


どこまでも、どこまでも努力し続けられる人間でありたい。
そして、努力は必ず報われると、世の中の全ての人に伝えられる人間になりたい。

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