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私を私たらしむもの。

2017年10月末に母は他界しました。また妻の在宅介護生活を充実させて行かなければなりませんでした。2018年5月頃から約3か月をかけ、文字盤と視線入力装置オリヒメアイを併用し、身体が一切動かなくなったら、どうするか、どうして欲しいか、などを親しくしてくださっていた緩和ケアの医師と私とで、妻(ALS、筋委縮性側索硬化症を罹患)から傾聴する作業をしました。

傾聴。

これからの事ばかりではなく、今現在の考えや今までの事など、そのお医者様には妻は、全幅の信頼を寄せていたので、何でも話せたのです。先生がいてくれなければ、妻は全てを話さなかったでしょう。

先生が傾聴しながら、持参されたiPadにまとめた文章はA4サイズペーパーで何ページになったか、結構な量になりました。その中から、“これからこうして欲しい”という希望を、私が項目建てしました。30項目くらいになったと思います。その中に---

本を読んで欲しい。

“XXXXX(有名作家さんで妻が何作か担当)さんとか賞を獲った作品や、これから賞を獲りそうな作品の朗読をしてもらう”という項目がありました。私は約30項目全部をメールで、いつも我が家の事を気にかけてくださっている、大学の先輩で近所に住まわれている方に送りました。妻が今、考えている一番大切なことを一緒に知って頂きたかったのです。今風に言えば“シェア”して欲しかったのです。

手をあげてくださった皆さん。

そうしましたら、先ほど、書いた“XXXXX(有名作家さんで妻が何作か担当)さんとか賞を獲った作品や、これから賞を獲りそうな作品の朗読をしてもらう”が、今私ができる事だね、と言ってくださったのです。最初は、ベッドサイド本で朗読していく、という方法が考えられました。ですが、それでは朗読をしに来ていただく方々の負担が半端なものではありません。時間のやり繰り、交通費などたいへんです。

ベッドサイドの読み聞かせは難しい。

来て下さるにしても、今度は受け入れる私達の体制作りもたいへんです。例えば、ベッドサイドに長い間座って朗読をする人がいたら、頻繁にベッド周りで、体交(たいこう。身体の位置を外部の人が動かす事。妻は身体のどこもかしこも動かせないので、寝返りもうてないから、外側から第三者のヘルパーさんや看護師が身体の位置を頻繁に動かしてもらいます)する、吸引(きゅういん。鼻腔内も口腔内も嚥下も動かせませんので、鼻水、唾液、淡なども外部から機械を使って吸い取る)するなど忙しなくする事ができません。

クラウドに朗読。

そんなこんなで四六時中、ヘルパーさんや看護師さんは妻のベッド周りで作業をしなければなりません。そうなるとベッドサイドに座り込まれたら、作業に支障が出てしまうのです。どうしたものか、と考えていましたら、朗読をしてくださる方のスマホか何かの端末を使って本を読み上げて頂き、クラウドにあげて、それを妻の耳元に置いた端末で、我が家ではタブレットに、聞けばいいのでは、という考えに至りました。こうすれば、朗読してくださる方は、例えばご自宅で時間がある時に読んで頂く。わざわざ我が家まで来ていただく事もいらない。という事が実現できます。朗読をして下さる方々は妻と私の先輩、同級生、後輩、それらの皆さんのご友人やお知り合いまで広がり、50名近くになったと思います。

情報シェアのグループ。

そして朗読をしてくださる皆さんの情報交換、連絡場所としてFacebookのグループを活用してくださる事になりました。最初に雑誌や新聞の書評を朗読して頂き、それを妻に聞いてもらい、朗読して欲しい作品を、私か、文字盤読みが得意なヘルパーさんに聞き取ってもらう。それを皆さんにお知らせして、手分けして朗読して頂く、という方法です。

妻が小説などの文学作品が好き、という事もあって小説が一番多いですが、一時は、住んでいる街のレポート、などもあり、時には南半球の街から届けられた音源もありました。書評も含む小説などは、総勢300本以上ではないでしょうか。大銭の皆さんが、たくさんの作品を日々読んでくださっているのです。

朗読音源の編集も。

そして朗読してくださった音源をある程度の長さにつなげて、音量や音質を調整してくださる作業をしてくださる方もいらっしゃるのです。本当にものすごいプロジェクトです。“ある程度の長さにつなげて頂く”という作業は、実は最初は3分くらいごとの録音だったのです。そうするとヘルパーさんが3分おきに妻の耳元の端末を操作しに行かねばならず、本来の身体ケアがおろそかになってしまう、という難題があった事もひとつの理由でした。

朗読などの作業は、プロならば30分くらいを一気に読み切ってしまうのだそうですが、素人では3分くらいが限度だそうです。その様な訳で短い朗読を30分程度の長さにつなげて頂き、音量や音質も整えて頂くという事もして頂いているのです。

“本読み”というプロジェクトネーミング。

妻はこのプロジェクトがあっという間に進捗したことに驚き、真っ先に感謝の気持ちをお伝えしました。その時、妻はプロジェクトの名前も考えてお伝えしたのです。“本読み(ほんよみ)”でした。不勉強な私が“え?皆さん、本を読んでくださっているけど、わざわざ、それを本読みと名付けるの?”と聞きましたら、(読書が大好きな、本の虫の事を“本読み”っていうのよ)とたしなめられてしまいました。それでプロジェクトの名前を”本読み“にしてもらった訳です。

“本読みは私を私たらしむもの”

ある時、プロジェクトの中心になって管理者もしてくださっている、近所にお住いの先輩が我が家に来てくださった時に、私が妻の文字盤読みをした時があります。妻の視線と透明文字盤上のひらがなを追っていると、不思議な、と言いますか今まで経験をした事がない、文字を追いかける時がありました。“本読みは、私を私たらしむもの”と妻の視線は文字を追ったのです。驚きました。良い意味でショックでした。さすがだな、と。そんな事よりも、この文章の主旨に心を打たれたのです。たとえ身体のどこもかしこも動かないと言っても、自発呼吸ができなくて人口呼吸器を使っていても、だから声を出せなくても、私を私でいさせてくれるのが“本読み”だと言ったのです。

文字盤読みは胸に刺さって。

妻とは30年以上の付き合いをしてきましたし、とにかくお喋りが多い夫婦でしたし、発語ができなくなり、透明文字盤を使って読み取り始めたのも、妻の症状が今よりまだ難しくない時期からでしたので、私がどのヘルパーさんよりも、看護師さんよりも文字盤読みが得意だと自負しています。ですが文字盤読みはいつも心臓に良くありません。

というのも、文字盤読みの作業は、一文字ずつ妻の視線と文字盤上の文字と合うのをじっくりと確認していく作業なのです。ことさら最近は眼の動きが少なくなってきたので、視線の先を確認するのが難しくなってきています。加えて妻は文章のプロです。いろいろな言葉や文章をと突然、投げかけられる事が多々あります。

こちらは文字を追いかけるだけですので無防備な状態。どんな表現でも、文字を視線が追えば、それを読み取らなければなりません。慣れてくると“先読み”という事をやってしまいそうになるのですが、それはできるだけやらない様にと、患者の会の講習会でも教えられましたし、妻本人にも申し訳ないと思うのでやらないように努力しています。でも実はたまにやってしまいます。そうすると、妻の次の言葉は(話を最後まで聞いて)です。

感謝。

“本読みは、私を私たらしむもの”という言葉には胸を打たれました。妻の生きる原動力。良い表現が思いつきません。これはこのままが最高だと思います。妻をここまで突き動かせる“本読み”をしてくださっている、大勢の皆様には感謝しかしようがありません。

根っからの世話焼き。

先週、妻の学部時代と研究室の同級生たちが、我が家に遊びに来てくださいました。“飲み会があると、いつも幹事してくれたよね”と皆さんが言っていました。妻は(根っからの世話焼き)と自分の事を表現しました。趣味で通っていた会期道の道場でも会計をやったり会合の幹事を務めたりしていました。病気で退会した後、頂いた集合写真では、会の皆さんが“会の宝です”という横断幕を持ってくださっていました。オリヒメアイの導入には、合気道の仲間の皆さんが募金をしてくださいました。自分の妻をほめるのも”手前味噌“と言われてしまうかもしれませんが、根っからの世話焼きだったからこそ、皆さんに助けて頂ける妻なのでもあるかもしれないですね。


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