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妊娠初期で自然流産になった話(完全排出されてからその後まで)

2020年6月3日、自然流産になった。

2019年に結婚してからすぐ、婦人科での一通りの健診を受けていた。特に異常はない。夫は子どもが好きで早く欲しいと言っていた。私が31歳、夫は32歳。高齢出産と言われる35歳のリミットまで近いのは事実だ。頼れる医学の力は頼るべきだと判断した。

3月上旬に卵管造影検査を受けて、その月は排卵直前に診察を受けることができたため、筋肉注射で排卵を促す対応を取ったが妊娠には至らなかった。

4月、今度は診察に行くタイミングではすでに排卵後だった。次の生理からはセキソビットを内服する予定だった。しかし、幸いなことに5月上旬に自然妊娠できたことが分かった。

26歳で右側卵巣嚢腫(奇形種)の腹腔鏡手術を受けている。それ自体に妊娠に対する影響はないが、婦人科疾患の既往歴があることに不安はあった。今回の自然妊娠は、とてもとても嬉しかった。

妊娠6週目を目安に受けた検診では胎嚢のみが確認された。卵黄嚢がごくわずかに見える程度だった。2週間後の来院を指示された。

眠気やダルさを中心としたつわり症状はあったが、順調に2週間が過ぎていった。

しかし、5月下旬に受けた検診では、胎芽9mmであるも心拍確認できず繋留流産の可能性が示された。1週間後にあらためて再診となった。

しかし検診後4日目うっすらとした出血が始まる。5日目には出血量が増えたため、急遽産科で診察を受けた。

やはり心拍はなく、胎嚢はいびつに変化して胎芽は膨化し始めていた。進行流産となっていた。おそらく数日内に完全流産となる見込みであり、ロキソニンを処方されて帰宅することになった。

それから2日経った。仕事に行って帰ってきた夜から腹痛が強くなった。深夜、腹痛に耐える時間と少し眠れる時間が交互に続いた。そして早朝4時ごろから、下腹部に感じる痛みがピークになった。押し殺しても声が出てしまうくらいの痛みで、飲んでいたロキソニンはどのくらい効いていたのだろうか。

40分ほどピークの痛みが続き、波がふっと消えた。横になって耐えていたため、立ち上がって一歩歩いた瞬間に「何かが出た」という感覚があった。そうして、私と夫の間にできた最愛の第一子は戸籍すら得ることなく私の身体からとても綺麗にいなくなってしまった。

出てきた胎嚢はとてもきれいな円形だった。白く濁っていた。私は自然流産を経験した。

胎嚢は翌日病理検査に出した。意義はあまりないと理解していたが精神安定材料のようなものだった。それから1週間は下腹部にキリキリとした疼痛と出血があったためロキソニンを常用しながら仕事を続けた。

1週間して出血がとまり身体が以前のように戻ってきた。体力はゆっくり回復して精神が安定し、仕事に集中できた。精神安定を求めて夫との行為も再開した。初めの2回は感染症予防も踏まえてゴムを使用したが、私がその後説き伏せてゴムなしにした。早く子どもが欲しかった。医師からは行為についての注意点は何もなかったのもあった。

そうして今日、病理検査の結果を聞きにいった。特異所見なし。自然流産の後はもういつ妊娠しても良いと、その医師は考えているようだった。なので行為に対する制限は言い渡されることもなかった。

おそらく今後も私たち夫婦はまた会えるはずの我が子のためにも行為を積極的に続けることになるだろう。

多くの繋留流産の経験者が掻爬手術のような処置を経験しているのが今の日本の現状だと思う。自然排出するまで待機するケースもあるがどうも少数派のようだ。おそらく医師の意見は様々であろうが、私のように流産後に生理を待たずに妊活再開が許可され得るケースもある。もし私と同様の形で、今悲しみや不安を感じている方のために、少しでも役に立てたらと思ってこの体験記を書くことにした。

妊娠は色々と奇跡の連続なのだと痛感している。今は淡々と記述できるが、ついぞ2週間前は泣き暮らす日々だった。次我が子に出会えるのが、1ヶ月後なのか半年後なのか、それとも1年以上かかるのかは分からない。だが前に進むしかない。

私はこれからも、頑張って生きて楽しくやろうと思う。形すら残らなかったけど、命を失った事実はしっかり受け止めてあげたい。





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