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マザレス番外編 烙印の報復 クラッシュ! 没エピ 望月衣知子編③ スピンオフ

 

 峠道をかなりのスピードで駆け上っていく衣知子。山頂に続くこの山道には四十八ものカーブがあり途中ガードレールが途切れてる区間も多くベテランのドライバーでも難所とされている。ましてや雨上がりでまだ濡れた路面は滑りやすく少しでも気を抜くと街乗り用にセッティングされたこの小型車のタイヤはグリップ力を失いそうになった。衣知子はグリップ限界でコーナーをクリアいく。

 ───冗談じゃないわ、こんな道でスリップなんかしたら、谷底に真っ逆さまじゃない。でもユキオを連れ戻すまでは絶対に死ねない。急なカーブを通過する度に衣知子は祈るような思いでハンドルを操った。

 ───どうしてあんたは…… 本当に馬鹿なんだから。

 衣知子とユキオは幼い時から仲の良い姉弟として育った。優しい両親に見守られて。幸せだった───あの事件が起きるまでは…… 

 衣知子たち姉弟の父親は行政経営の公共交通機関、いわゆる公営バスの運転士だった。父親は公務員として国家に貢献しているとの誇りを持っており、一家は政府からの手厚い恩恵も受けていた。家族は政府支給の安全な食材で作った食事を取ることが出来たし、裕福とは言えないまでも衣知子家族の暮らしはこの時代において十分恵まれていたといえた。母は若いときから体が弱かったが普段は営業所で寝起きして週末にしか戻らない父親の留守を守り子供達を愛する心の優しい人だった。

 その日の朝、父親は、いつもどおりに始業前のアルコールチェックを受け、車両点検を終えると営業所を出た。始発停留所までバスを回送すると、朝の通勤通学客を乗せて出発した。賑やかな学生達の会話、朝だというのに座席に座るとすぐにイビキをかきだすスーツ姿の会社員。何も変わらない穏やかな一日の始まりだった。父親の運転するバスは幹線道路にさしかかる交差点で信号待ちをしていた。信号が青に変わるのを確認して、バスが交差点へ道路外から右折横断して進入しようとしたところに信号無視で突っ込んできた交通機動隊の白バイがバスに激突した。白バイは大破し運転していた青年隊員は胸部大動脈破裂で即死した。バスの乗客に怪我はなかった。明らかに白バイ隊員の信号無視とスピードの出しすぎが事故の原因だった。しかし検察はバスが安全確認不十分のまま交差点内に進入したことによって起きた事故として衣知子の父親を業務上過失致死傷罪で起訴した。しかも検察が提出した証拠の多くは捏造されたものであった。当時現場周辺では違法な白バイ隊の高速走行訓練が行われており、弁護士と一部メディアは起訴事実はなくバスは停止しており複数証人もいる冤罪えんざいとして無罪を主張した。しかし検察側はこれを全面的に否定した。この事件の取材で国家権力の横暴に憤り、父親の無罪を訴え検察を相手に最後まで対抗したのが今の衣知子の上司であるジャーナリストの鮫島だった。しかし最終的に裁判所が下した結果は有罪であった。おまけに事件当日の父親のアルコールチェックで飲酒検知器に反応が出ていたのに運転し事故に至った───という明らかに捏造された証拠が検察側から提出され、罪状は飲酒運転と危険運転致死傷罪に切り替えられ父親には無期懲役の実刑判決が下った。当時政府は政権統率力の強化を図っていて父親側の主張を反政府的行為として受け取った結果の報復措置であった。

 衣知子の車はセンターラインを大きくオーバーしながら走っている。この時間まず対向車とすれ違う事はない事だけが救いだった。

 ───臓器売買なんてなんでそんな恐ろしいことに…… はやく辞めさせないと取り返しのつかない事になってしまう。衣知子はこれ以上ユキオに罪を犯して欲しくなかった。

 
 判決が下った夜、衣知子の父親は自ら命を絶った。拘置所の単独房でシーツを裂いて窓の鉄格子にかけ首を吊っているのを巡回中の看守が発見した。父親はすぐに病院に搬送されたが、翌朝には死亡が確認された。遺書らしきものは何も残されていなかった。訃報を受け衣知子たち家族は病院に駆けつけた。霊安室のベッドに横たわる夫の変わり果てた姿を見ると母親は取り乱し半狂乱になった。その日から衣知子の悪夢のような日々が始まった。家に戻ると母親は台所から包丁を持ち出し自分の喉を切り付けようとした。衣知子は必死で止めた。「お母さんまで死んじゃったら、私たちどうすればいいの!」母親はしばらく泣き叫ぶと、やがて疲れ果て眠ってしまった。母親の寝顔を見ながら、まだ高校生の衣知子はこれから先どうやって生きていけばいいのか途方にくれてしまった。でもユキオはまだ中学生。


 ───これからは私がお母さんとユキオを守っていかなければ……

 それからも発作的に自殺未遂や自傷行為を繰り返す母親は精神病院に入院させた。父親の自殺を境にユキオは学校に行かなくなった。ドロップアウトしたユキオは、やがて街の不良と付き合うようになりケンカやバイクの暴走行為に明け暮れるようになった。そして覚せい剤の使用、さらに薬を手に入れるための窃盗を繰り返した。ついには不良グループ同士の抗争で傷害事件を起こし鑑別所に送られる事になってしまった。ユキオの鑑別所行きを知った翌日、冬の寒い早朝、母親は病室を抜け出すと非常階段で屋上に上り十一階の高さから飛び降りた。───即死だった。



 この複雑な九十九折つづらおりを抜ければあとは緩やかなカーブが続きその先にマザーレスチルドレンのアジトがあるはずだった。最後の急カーブに差し掛かったときヘッドライトの光のに中に突然一人の男の影が現れた。瞬間的に衣知子はブレーキペダルを踏みつけた。

 ───なんでこんな所に人が立ってるのよ!

 車は制御不能になり大きくスピンすると道路脇の立ち木に激突して止まった。インホイールのモーターは激しく回り続けあたりは白煙に包まれた。激しい衝撃を受けた衣知子はゴムが焼けこげる臭いを嗅ぎなが意識を失った。


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