長崎市長銃撃事件と葦津珍彦─言論の自由を欲しつづけた右翼人として─
長崎市長銃撃事件
平成2年(1990)1月18日午後、長崎市役所入口付近で男が外出のため公用車に乗ろうとした長崎市長の本島等氏(67)に向けて拳銃を発砲した。左胸に銃弾が命中した本島氏は救急車で市内の病院に運ばれ、一命は取りとめたものの、全治一ヶ月の重傷を負った。
発砲した男は、長崎市内に本拠をおく右翼団体「正気塾」東京本部長代行の田尻和美氏(40)。田尻氏はその後、長崎市内で逮捕され、銃刀法違反や殺人未遂などにより懲役12年の判決をうけ服役する。
本島市長が撃たれた事件現場を検証する警察:共同通信
事件は本島氏が昭和63年、市議会で「天皇にも戦争責任はあると思う」などと発言したことがきっかけだといわれている。折しも昭和天皇が御不例であり、容態芳しからぬなか、本島氏の「天皇の戦争責任」発言は大々的に取り上げられ、世間の耳目をひいた。
本島氏はもともと自民党を支持基盤とする保守系政治家であり、同党長崎県連の顧問も務めていた。このため同党長崎県連は本島氏に発言の撤回を求めたが、本島氏は応じなかった。こうしたことが余計に本島氏への反発を買った。また本島氏は、正気塾が発行していた機関紙「正論ジャーナル」の創刊パーティーにも出席するなど、正気塾とも一定の交友関係もあったようだ。
こうしたことから市内では正気塾を中心に右翼団体の抗議行動が活発化したが、本島氏はとうとう発言を撤回することなく、昭和天皇の崩御とその後の服喪を経た平成2年のこの日、事件が起きたのであった。
事件をめぐる報道
事件は昭和天皇の崩御後というタイミングにおいて、天皇の戦争責任に関する発言という極めて政治的にセンシティブな問題をめぐって発生したものであり、まして戦後史上はじめての要人狙撃事件ということもあり、各方面に大きな反響を呼び、マスコミでも連日のように報道された。なかには田尻氏や正気塾についての根拠のないゴシップ報道や、偏見に満ちた不正確な報道もあったようだが、そうしたなかで「朝日ジャーナル」平成2年2月16日号で神道言論人の葦津珍彦氏による事件と右翼テロ、そして言論の自由についての談話をまとめた記事が掲載されていることには注目したい。
記事のタイトルは「対決者への社会的平等権も保障すべきだ 言論の自由を欲しつづけた右翼人として」、葦津氏は「皇道史研究家」との肩書で登場している。
言論の自由と法的・社会的平等
記事において葦津氏はまず、言論の自由こそみずからが青年時代から求め続けた「文明の公式」であるが、一方で日本の公権力によってその言論の自由は厳しく統制され、自身の言論も弾圧されてきたと振り返る。
例えば葦津氏は東条内閣時代、戦時刑事特別法改正を批判し検挙された。葦津氏は検挙した検事に憲法における言論の自由を論じ、自分こそ合憲であり、当局者こそ不法だと訴えたという。また、戦後も占領軍との関係で言論の自由がなく、占領が終了し日本が独立した後も「反動右翼」として言論に制約があったことなどを振り返り、「言論の自由」を心から欲しているとする。
その上で葦津氏は、長崎市長銃撃事件を取り上げ、本島氏の発言やそれに対する批判、あるいは田尻氏への同情・弁護を取り上げ、これら各種の立場を異にする言論も言論の自由の枠内にあり、こうした言論の自由と言論の自由に基づく討議が文明の公式なのである、という。
だが葦津氏は、文明の公式をリアライズ(現実化)するためには、国家や社会の努力も必要だとする。
「言論に対しては、いかなる反対者も言論によってのみ戦え」との文明の公式をリアライズするためには、必須の前提条件がある。それは、社会なり国家が、その発言者の法的人格権のみならず、その対決者に対して、社会的平等権を認めねばならない。この法的平等権を守るのは国の責任であり、社会的平等権を守るのは、主としてマスコミ等である。
一方の発言者を初めから社会的な知識人として敬し、他方を無知の徒として侮る時には、社会的に差別され見下された者は、勢いの激するところテロを生ずるのが、まぬがれがたい社会法則である。それは古来の歴史に明らかである。法的・社会的に優位の者が、刑法を犯してテロに走ることはない。テロに走る者は、差別された側から生ずる。
つまり葦津氏は、言論の自由を実現するには、ある発言者の法的な人格権を認めるだけでなく、それを批判する者にも社会的な平等権が必要であり、そうした機会の不均衡や差別によってテロが発生してしまうのだと分析するのである。
「暗殺は其是非を論ずべきに非ず」
葦津氏は、テロを防ぐためには刑罰を重くするべきだという主張を退ける。そうした発想は敵対関係をシャープにするだけだ、と。
そして葦津氏は中江兆民の言葉をひいて、テロそのものの是非ではなく、テロが発生してしまう国家・社会の問題に迫ろうとする。
兆民・中江篤介は、強引無比の自由民権論者・星亨が刺殺された時に、マスコミがただ刺者・伊庭想太郎のみを非難するのに対抗して、刺殺者を法的罪人と認めた上で、なお論じ、「暗殺は其是非を論ずべきに非ずして、唯其国、社会に於て暗殺の必要を生じたること、是れ甚哀しむべきなり」(『一年有半』)として、法を犯さざるを得ない社会的必要を感じた伊庭想太郎に同情した文を書き残している。
テロはあってはならないことであり、テロを実行した者への法的な責任や処罰は当然であるが、なぜテロが発生してしまったのか、なぜこの国家・社会においてテロが要請されてしまったのかを考えなければならないと葦津氏はいうのである。
銃撃された本島氏:長崎新聞
それはまさしく発言者の法的な人格権と、それに対する批判者への社会的平等権の不均衡・差別が国家・社会に存在するということ、すなわち言論の自由が実現されていないからこそテロが発生してしまうという、テロの政治的・社会的“力学”、テロのメカニズムに着目するのが葦津氏の特徴的な議論だといえる。
こうした葦津氏の姿勢は、山口二矢少年の社会党委員長浅沼稲次郎氏刺殺事件以来、一貫している。浅沼氏刺殺事件においても、葦津氏はテロの発生の“力学”を考察し、言論の対等な対決をテロ防止策の一つとして論じるなどした。
葦津氏自身が戦前戦後と言論の自由を求めてきた人物であり、戦後には神社本庁爆破事件など被害者としてテロ事件の当事者となったこともあるだけに、その議論は非常に説得力がある。
長崎市長銃撃事件から30年。言論の自由とテロの問題について葦津氏の議論を参考に考えを深めてみたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?