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娘がアメリカの大学に入学しました

現在大学2年生になる娘。カルフォルニアで楽しく充実した大学生活を送っています。
今回は23年8月に入学するまでの紆余曲折!?を親の視点から記録します。


大学出願

留学向けのコースなどがない東京の私立高校に通っていた娘は、最後まで英語は苦労してました。主にエッセイにアドバイスをもらう留学エージェントの他、Toeflの点数をとるための英語塾にはウン十万円使いました。。Toeflは何度も受けましたが、webで受験できるようになったのは画期的でした。これを特定の日に毎回会場まで受けに行っていた先輩方はホントに大変だったと思います。

2022年12月までに出願した学校も数校ありましたが、2023年1月末が出願期限だった学校がほとんどだったようです。
2月中旬に一校から奨学金付き合格の連絡がきて、とてもホッとしたのを覚えています。
出願までのプロセスでは、親の収入証明の作成など、親側で準備しなければいけないこともあり、ここまでの詳細は、またどこかで記そうと思います。
(娘はダンス専攻も志願しており、出願のプロセスで、スタジオを借り、選考のためのダンス動画を撮影し、編集してyoutubeにあげたりしていました。という特殊事情もまた追って)

学校見学

最終的に合格したのは6校でしたが、合格連絡は一度には届かず、2月中旬から4月下旬の間にポツポツくるような感じでした。そんな中、5月初旬までにはどの学校にいくか決めて意思表明する必要があるため、4月中旬までに合格連絡をもらった大学のうちの2校とwait listに入った1校の計3校を実際に見に行く母娘ツアーを4月20日から27日の約一週間で決行しました。このタイミングではじめて大学を訪問、見学するというのは、なかなか斬新でした。

羽田 → サンフランシスコ → クリーブランド(一校目見学)→ オヘア/シカゴ → LAX(二校目見学)→ オヘア(三校目見学)→ 羽田

二人ともヘロヘロでした。。
娘は旅の間で風邪をひき、アメリカの強い風邪薬に大変お世話になりました。
私はといえば、シカゴでレンタカーして、2時間近く慣れない運転をしたり、旅の間で日本とのリモート会議に参加したりで、文字通り綱渡りでした。LAX→オヘアのフライトは約2時間遅れ、レンタカーの窓口が閉まったことでさらに遅れ、、などなど、度重なる打ち合わせの調整に、イライラ炸裂でした。
旅の間はまったくよい雰囲気ではなかったのですが、強行して良かったな、と後になって思えました。この旅で娘は、カリフォルニアの州立大学に行く、と腹を決めることができました。

入学準備

大学が決まったのも束の間、次はビザを取得して、ドミトリーを申し込んで、渡米の日を決めて、とやること盛りだくさん。

最初の大きな悩みは、いつどのような形で授業料を払うのか、がよく分からないこと。娘に聞いてもよく分かってないし、大学に問い合わせようにも、誰が窓口かもわからない状態です。そのうち、まあ、いつか連絡はくるだろうと、腹がすわってきました。結局、大学のポータルサイト経由でのクレジットカード支払いであることがわかり、7月の終わりに一部を払って、半期分(fall semester)の残りを8月上旬に払いました。ここで、クレジットカードの限度額をマックスまであげる手続きをしました。以降半年ごとに半期分の授業料を払うわけですが、アメリカの大学には入学金みたいな類の支払いがないことを、このタイミングで初めて知りました。

ドミトリーの申し込みや学生ビザの取得は娘が進めていました。中でも学生ビザは、アメリカ大使館にもいかずに取得できていました。大学の入学証明書が最強なのとESTAを既に持っていたことも良かったのかもしれません。ドミトリーについてはルームメイトを探したり、とさまざま手順があったようですが、二人部屋に無事に決まり、住居費&食費としてポータルサイト経由での毎月の支払いが始まりました。

渡米

さらに頭を悩ませたのが、なかなか渡米の日程が決まらないことでした。International students向けのオリエンテーションは8/14という案内がアドミッションオフィスからきたものの、ドミトリーに入れるのは8/15から、とレジデンスオフィスからは連絡がきます。えぇ!8/14の夜はどこに泊まるの?そこの調整は事前にしてないの?という日本人の私にはにわかに信じられない状態。どちらに問い合わせても返事がない、つかまった担当者は休みに入る、などの硬直状態が続き、じりじりと時間だけが過ぎていきます。この時期は日本のお盆にあたるので、日本からアメリカに向かう飛行機の値段はどんどんあがり、焦る私。JALが片道60万円になったのをみた瞬間、決断します。

そうだ、まずは2人でハワイに行こう。数日滞在する間に、娘だけロサンゼルスに飛ばそう、と。

結果的に私は8/13から8/17でホノルルに滞在、娘は8/13にホノルルに一緒に入り、8/15に一人でLAXに向かいました。オリエンテーションには参加せず、後からキャッチアップし、ドミトリー入居初日にキャンパス入りしたことになります。(オリエンテーションには多くのInternational Studentsは出られなかったようです。そりゃそうだ)
お盆の時期は日本からアメリカへの飛行機は人気ですが、ホノルルからLAX間は国内線ということもあり、本数も多く、変更可能な飛行機を予約してもさほど高くなかったのが良かったです。こうして、何とか娘をひとりでキャンパスまで運ぶ!?ことができました。

何より最後に娘とホノルル滞在を楽しめたのは、スペシャルでした。


ホノルルでの食事


娘と別れた後に1人で参加したパールハーバーツアーにて

(続く)

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