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【小説】重ねた罪に侵食の報いを【第四話】

戮力

 明朝、大量の薬を受け取り本部を後にする。帰路を辿る数日間、フィルの話で頭が一杯だった。でもまずは薬を届けなければならない。彼女と再び会うのはそれからだ。
「おかえり、ロージェくん」
薬草師ギルドに着くと、ギルド長が笑顔で出迎えてくれた。
「はい、無事に薬を受け取れました」
「おぉ、これがフィアラの……ほら、お兄さんの分だ。持って帰りなさい」
「ありがとうございます」
「君には大変な苦労をかけた。お兄さんが寛解するまで、側にいてあげなさい。こちらの仕事は残りの人間でなんとかするよ」
「はい。では、お言葉に甘えさせていただきます」
その場を後にし、急いで家に戻る。

「ただいま」
「おかえり。長旅お疲れ様」
「ほら、これがフィアラの葉で作られた薬だよ。これで兄さんの身体は元気になるんだ」
「ありがとう……!」
「ギルド長から言われたんだ。完全に回復するまで側にいてあげなさいって。だから暫くはずっと家にいるよ」
「ありがとう、ありがとうね……」
兄さんは泣きながらずっとお礼を言っていた。こんな泣き顔を見たのは初めてだった。

——ありがとうね

感情が直に伝わってくる。何故か俺も泣いてしまう。
「もう、なんでロージェまで」
「ははっ、分かんないや」
その日は久しぶりに笑顔で会話が出来た。ともに食事を行い、たわいもない会話に花を咲かせる。不思議と頭の中に声は響かなかった。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
夜も更け、寝る前の挨拶を行ない部屋へ戻る。しばらく時が過ぎるのを待ち、兄さんが眠りに就いたのを確認した後に家を出た。
街の南西、木々に囲まれた湖の畔。フィルの住む小屋を目指して急ぐ。

「入れ」
促されるまま入った部屋の中は文献や実験器具で溢れいてた。その中に分厚い紙の束を見つけて思わず目を疑う。”特定生物に含有される陰素いんそにおける仮定とその効用”と題されたそれは、俺がギナの首と一緒に持ち出そうとしていた論文書だ。斡旋者から差し出された手配書に記されていた、もう一つの達成物。
「これ、どうしてお前が」
「全ての遺品を回収してきた。成果が奪われる前にな」
「奪われるって、そもそも剽窃したのはギナの方じゃ」
「兄はそんな事しない!」
彼女は表情を強張らせ怒鳴る。
「……妬まれていんたんだ。あの研究が世に出ればギナ・ジーンは間違いなく偉大な研究者の一人として名を残していた」
急に告げられた真実に理解が追いつかない。ギナは真っ当に研究に打ち込んでいただけなのか。
「じゃあ、依頼者は学者ギルドの」
「そうだ。手柄を自分のものにしようとした奴がいたんだ。……あいつも殺してやったよ」
その言葉を聞いた瞬間、憎んだ相手を手にかけるフィルの姿が脳裏に浮かんだ。慣れない手つきで命を奪った彼女はどんな気持ちだったんだろうか。そいつが暗殺の依頼をしなければ。俺がその依頼を受けなければ。彼女が手を汚すことなんてなかっただろうに。
「……」
思わず黙り込んでしまうが、フィルは構わず話を続ける。
「私の目的は二つ。仇を取ることと、兄の意志を継いで研究を成功させることだ。その両方が同時に叶うなら、これほど楽なことはない」
彼女が俺の話を受け入れた理由がなんとなく分かり始めた。しかしまだ情報が足りない。
「なぁ、その研究が俺の呪いにどう関係しているんだ?」
俺の問いかけに対し、フィルは一呼吸置いてゆっくりと答え始めた。
「……元々兄は生物の生態について学んでいた。あらゆる動植物を観察し、それらがどう生まれ、何を食い、如何にして繁殖していくか。だが、特定の条件下の場合だけ不可思議な挙動を行う個体に気付いた」
「……?」
「そして数々の検証により、一つの答えに辿り着く。特定の生物には不可思議な作用を持つ成分が含有されていて、それは他の生物に大きな影響を及ぼすらしい。兄はこれを陰素いんそと称し、そしてこいつを上手く活用することでこの力を他者に伝播させる事が出来るのではないかと仮定した」
「それが、呪いの正体なのか?」
「まだ憶測の域だ。ただ、この考えは限りなく正解に近かった。実際にいくつかの小動物では効果が確認できたんだ。方向の感覚を失認させたり、脅威に対する危機感を失わせたりな」
確かに、老人の手記にも似たような効果の呪いが書かれていた気がする。”彷徨”や”暖気”だっただろうか。ただ、ここでまた一つ疑問が浮き出る。
「そもそも陰素いんそをどう扱ったら呪いが掛けられるんだ?」
そう聞いた瞬間、彼女の言葉と憎悪が一気に押し寄せてきた。
「仇であるお前にそこまで教える義理はない」
迂闊だった。フィルにとって俺は殺したいほど憎い相手でしかない。この事を忘れてはならない。そんな奴に呪いの掛け方なんて軽々しく教えたら何をされるか分からないと思うのは当然だ。それが兄の研究の賜物なら、尚更。散々”投影”に苦しめられてきたのに、何故こういう時に彼女の感情を読み取れないのか。
「……すまなかった」
謝罪を無視し、フィルは言葉を続ける。
「話を戻す。様々な事が分かり、あと一歩まで来たこの研究だが、重要な問題が解消されなかった」
「問題?」
「呪いの解き方が発見出来なかったんだよ」
そうか。それさえ分かれば、ギナの研究は成果を上げ、もっと違った未来があったのかもしれない。
「お前が受けたその呪いも、恐らく陰素いんそが関係している。人に及ぼされた事例は初めて聞いたが、お前が言っていた老人の話も考えると辻褄は合う」
「老人の事は何も知らないのか?」
「そんな奴がいた事は聞いたこともなかった。きっと兄と同じように偶々発見したんだんだろう。陰素いんその作用を呪いと呼んでな。そこでだ。お前にはまず老人の小屋にあるもの全てをここに持ってきてもらいたい」
「何か手掛かりがあれば、ということか」
「そうだ。手記には解呪のことも書いてあったんだろう?」
「具体的なことは何一つ分からなかったが」
「何も分からないままよりはいい。必ず解き方を見つけてやるさ。……そして、お前を殺してやる」
殺意は増すばかりだ。俺はただ返事をすることしか出来ない。
「あぁ、俺もそのつもりだよ」
フィルは研究の達成と復讐の為。俺は呪いを解いて殺される為。遺された者と死にたい仇の、奇妙な協力関係が始まった。

鍔際

「大丈夫……?」
老人の小屋とフィルの家を往復する毎日を過ごす中でも、相変わらず声は頭の中に響き、俺を苦しめ続ける。顔色はどんどん悪くなる一方だ。兄さんは事あるごとに心配して声をかける。
「大丈夫だよ。疲れが取りきれなくてさ」
「無理……しないでね」
「うん、ありがとう」
兄さんの身体はみるみる元気になっていくが、もう以前のように横になり続ける生活をする訳にはいかない。フィルの気持ちを考えるとそんな事はできない。彼女の目的を果たすまで、俺は兄さんの前では何でもない振りをし続ける必要がある。大丈夫だ、このぐらい耐えられる。そう思って笑顔で返すと、兄さんは更に言葉を続けてきた。
「ロージェ、あのさ」
「どうしたの?」
「僕、神官になろうと思うんだ」
よかった、もう仕事が出来るまで回復したんだ。
「そうなんだね。俺、応援するよ」
「ふふっ、ありがとう。それでさ、今度聖職者ギルドに加入申請をするから、一緒に街まで行こうよ」
「うん、もちろんだよ」
「夢だったんだ。ロージェと一緒に仕事へ出かけるの」
「そっか、叶ったね」
表面上では笑みを浮かべつつも、本当は吐きそうになるぐらい苦しい。兄さんが神官になる頃には、俺はもういないのかもしれない。

「これで全部だ」
「あぁ、そこに置いておいてくれ」
老人の遺物を全てフィルに渡す。相変わらず彼女は呪いの解き方について調べ続けている。
「少しづつ、分かってきたことがある」
ギナが遺した数々の検証結果と老人が独りで蓄え続けた知見を元に、彼女は少しづつ答えに近づいていた。
「なんだ?」
「呪いを解くという事は、陰素いんそを取り除くという行為に等しい。この間お前が運んできた文献に、一部の素材の効果が急に消失したと記されているのを見つけた」
「何かの切っ掛けで陰素いんそが消えたという事か?」
「恐らくな。どういう条件で何をやったかまでは書かれてはいないが、これは大きな手掛かりだ。この仕組みを解明してお前に活用する事で、『投影』を失くせるかもしれない」
「そう、なのか」
「だからお前にはもう一つやってもらう事がある」
そう伝えるとフィルは手記を投げ渡してきた。
「この手記に書かれている全ての素材を集めてこい。色々と検証しようにも元がないと何も出来ない」
「分かった。集め次第また来る」
必要な素材を確認しながら家路を辿る。多年草エイソア、夜鳥キリア、回遊魚ムナ……そこら中で見かける動植物の名前。身近にある生き物が、人間の手によって恐ろしい呪いの道具となってしまうなんて考えたこともなかった。でも今はとにかく、ここに載っている素材を集めるしかない。

「じゃあ、出発しようよ。ロージェ」
あれからまた時が経ち、兄さんはとうとう聖職者ギルドへ務めることになった。神官見習いといえど、立派な仕事だ。このまま素晴らしい神官になっていくんだろう。
「今日も遅いのかい?」
「いや、今日はいつも通りだよ。終わったら街の外で待っててよ」
「分かったよ。それじゃあ、無理はしないでね」
街に着き、それぞれの仕事場へ向かう。
「ロージェさん、今日もよろしくお願いします」
薬草師ギルドの面々が挨拶をしてくる。復帰と同時にギルド長の立場となり、各々の持ち場に指揮を執っていく毎日。面倒だが、この立場になったことで有利な面もある。薬の原料を集める採集班への指示が通るようになり、フィルの求める陰素が含まれた素材の回収がかなり捗るようになった。あっという間に殆どのものが集まり、残す所あと数種類だ。相変わらず頭に声が響いて狂いそうになるが、それでもなんとかやっていけている。

「おまたせ、兄さん」
「お疲れさま。じゃあ帰ろうか」
行きも帰りも一緒なのは今でも不思議に感じる。もし何も無ければ、もっと早くからずっとこんな風に生活していたんだろうか。ふと横を見ると、兄さんはこの上ない笑顔で歩いている。

——やっと元気になれたんだ、ロージェの為にも頑張らないと

駄目だ、苦しくなる。もう二度と兄さんを心配させないように振る舞ってきたけど限界が近づいているのを感じる。いつまでもこんな幸せが続くと思っている兄さんを見ていると気が狂ってしまいそうだ。もういっそ、俺のことを忘れてくれないか。そうすれば呪いが解けなくても楽に死ねるかもしれないのに。

「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
食事を摂り、部屋に戻る。床に就く前に手記を読み、未回収の素材を確認する。
「後は……ペウマの眼と……」
その瞬間、一つの考えが頭を過った。ペウマ。東方の洞窟に生息する蝙蝠。その眼の効果は”遺却”。術者の記憶を忘れさせる呪い。もしこれを兄さんに施したら、俺のことなんか忘れてくれるんじゃないだろうか。そしたらこの身を蝕む呪いが解けなくても、兄さんの感情を思い起こさずに死ねるかもしれない。でも駄目だ。フィルが呪いの掛け方を教える訳がないし、何より今のまま死んだら呪いの解き方を見つけるという彼女の研究に遅れが出る。結局待つしかないのか。苦悶に耐える日々は、まだまだ続いていく。

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