父と雪だるま

先日の旧暦新年は、
母と連れ立って、お墓参り。
アッパと新年のお祝いを交わした。
アッパって、韓国語で父のこと。
きっとあの人は、小さな雪だるまのお供えを、ニヤニヤと喜んでくれたはず。
子供のころ、ねだると絵本のキャラクターの絵を描いてくれ、わたしが満足しても、自分が楽しくなって延々描いていた父。
学校の宿題の絵を手伝ってくれたはいいけど、集中しすぎて、畳がリアルになり過ぎて、先生に不審がられる、とか、子どもの歌を録音していたはずが、自分が歌い始めると興にのって歌い上げ、マイク返してという私たちの声が録音されているとか。
言ってみれば、クリエイティブで、お茶目な面のある人でした。
社会人としては、仕事に情熱をかけ続けてた人で、子どもの頃から、そんな生き方を尊敬し、憧れていたけど、思い出してふんわりと胸が暖かくなるのは、きれいにはまとまらない、ちょっとずっこけたこんな思い出のほう。
もちろんどちらも、父なのだけど、しようとしてやっているのではないこと、枠にはまらない、枠から滲み出るものに、感じる"これ"を、愛と呼ぶのは、しっくりくる。
陽を浴びて光る雪だるまを見ながら、そんなことをぼんやりと思った。
生きている時に、優しく伝えたことは無いのだけれど。



お〜い、顔はどうするんだ?と、声が聞こえる。

ハッピーバレンタイン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?