「指さないコンパス」
『んー!』
大きく背伸びをして、
潮の香りがする風を浴びる。
『海風が気持ちいいね』
「でしょ!」
「ほらー、やっぱり来てよかったじゃん」
『うん、本当にそう。』
『ありがとう、晶保』
夏休み。
尋常じゃない暑さにやられて、
エアコンの効いた部屋に籠もっていた僕を
引っ張りだしたのが、晶保だった。
漁師をしているお父さんの影響で
最近、船舶免許を取ったらしく、
家族以外の人を乗せたかったんだ、と。
流石、漁師の娘というか、
スムーズな舵さばきで、沖へと進む。
ふと、晶保の横にあるコンパスが目に留まる。
針はくるくると回っていて、同じ方向を指すことはない。
『壊れてるんじゃない?』
「大丈夫、大丈夫。視界もいいし、レーダーもあるから」
まぁ、普段はおっとりした晶保だけど
そういう野生の勘みたいのは凄いので、信じよう。
しばらくすると、沖のポイントに出て、
二人で釣りを始めた。
カゴにオキアミを入れて、
針の先にも尻尾からオキアミを刺す。
後はひたすら、かかるのを待つ。
『来ないねー』
「待つしかないんだよ、こういうのは」
『そうなんだ』
「まぁ、お父さんの真似してるだけなんだけど」
晶保は笑いながら、沖の先を見つめる。
「あのさ」
『ん?何?』
「やっぱ、何でもない」
晶保はそういうと、黙ってしまった。
結局、1匹も釣れることなく、
釣り船は、ポイントを離れた。
何とも言えない沈黙が、
操舵室を包む。
晶保はまっすぐ、港の方を見つめたまま
舵とギアを動かしている。
2人の間にあるコンパスが、
ふと、僕の方を向いた。
すると
「ねぇ」
「私たち、付き合わない?」
『え?』
突然の告白に、
僕はあっけに取られてしまった。
「なーんちゃって。」
僕が返事に窮している間に、
晶保はまた、正面を向いてしまった。
僕らの間にあるコンパスは、
また、くるくると回りだして
同じ方向を向かないままだ。
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