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【応援団】なぜ応援団は厳しさを求められるのか?[2]

さて、「応援団」という団体について私なりにご説明させて頂きたいと思います。

早速ですが、
皆様は、応援団と聞くと何をイメージするでしょうか。

「古臭い」「昭和の感じがする」「押忍!」…。

などさまざまございますが、やはり一番思われるのは、
「応援団ってめっちゃ厳しそう!」
ではないでしょうか。
(私も現役時代、応援団やるなんてドMやなぁ〜と声をかけられたこともありました。今でもです。)

これについて、
はい、否定はしません。

応援団は厳しい団体です。

少なくとも、私の今までの人生経験の中で、最も苦しんだ4年間だったと確信しています。

では、
「なぜ応援団は厳しさを求められるのでしょうか。」

私はこう思います。

他人に「頑張れ」と言えるようになるため

「頑張れ」という言葉は上から目線です。
「頑張れ」という言葉をかける、つまり応援するためにはその人よりも上の立場にいなければいけないのです。

私も大学一年時にOBの先輩から同じような質問をされました。
その時の私は答えることができず、その先輩から頂いた言葉に雷に打たれたように納得したのを覚えています。

「なあ、お前は何気なくうちの大学の体育会の応援をしてるだろうが、彼らはすごいんだぞ。
例えば野球部。彼らは小中学校はもちろん、甲子園常連校で一日中、365日野球に打ち込んできた野球のエリートだ。
お前が遊んだり、寝ている時だって練習してきたんだ。
そんな彼らに『頑張れ』と言えるのか?」
「じゃあ彼らの努力に追いつくためには、そりゃあ彼ら以上に修行しないとな。」

なるほど。
彼らの10何年間の努力に4年間で追いつこうとしているのか。
そりゃあきついよな。(納得)

当時、厳しい応援団から抜け出す言い訳を考えてばかりいた自分が何も言えないほど納得してしまいました。

他人に「頑張れ」と言い、
活力を与えられる存在になる。

これは私の人生の目的です。
この応援団での教えに感動し、人に「頑張れ」と言える人間であり続けたいと思い、決めたことです。
人を陰で支えるインフラ業界に就職したのも、そんな存在に近づきたいと考えたからです。

そんな存在になるために、
日々周りの人よりも努力し、
人に優しく自分に厳しく、

他人以上に修行して生きていきたいと思っております。

応援団についてを説明しようと思いましたが、脱線して人生観を語ってしまいました。
また次回、応援団についてご説明させていただければと思います。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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