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旅日記・ジパング見聞録4 ~ 元善光寺(長野県飯田市)

今年、令和4年は善光寺御開帳の年ですね。

ふだんは厨子に秘蔵されている御本尊などの仏像を、ある期間だけ帳を開けてそのお姿を拝んでもらえるようにする法会のことを御開帳といいます。

善光寺では7年ごとに御開帳をしており、昨年令和3年が御開帳の年だったのですが1年延期されたため今年執り行われることになりました。

御開帳の期間は令和4年4月3日(日)から6月29日(水)の88日間。これまでの御開帳よりも期間は長いそうですが、期間を”八十八日”としたところに、みなさんは何か感じるものがありますか。

さて、善光寺といえば長野市ですが、他にも善光寺という名のお寺があり、今回の御開帳は長野の善光寺も含めて6ケ所の善光寺で同時期に開催されるものです。

よくしたもので御開帳のサイトもあり、それぞれの善光寺の紹介を見ることが出来ます。
https://gokaicho.net/

長野市の善光寺はわたしも何度か参拝したことがあるので、今回は御開帳前でしたが、飯田市にある元善光寺に行ってみました。

元善光寺は中央道の座光寺PAスマートインターから10分弱。市道を下ってきて突き当りを右折、案内通りに進むと門前に出ます。

“元”善光寺というくらいなので、善光寺の元のお寺ということなのでしょう、善光寺縁起によると…

推古天皇10年(602年)に、信濃の国の麻績の里(現在の長野県飯田市座光寺)の人である本多善光(ほんだよしみつ)公が、国司に伴って上京した折、難波(現在の大阪)の堀にて一光三尊阿弥陀如来に過去世からのご縁でめぐりあい、故郷にお連れしお祀りしたのが、元善光寺の始まりといわれています。

その後、阿弥陀様のお告げによって芋井の里(現在の長野市)に遷座(ご移動)されて出来たお寺が、善光公の名前をとって「善光寺」と名付けられ(現在の善光寺)、飯田の方のお寺は「元善光寺」と呼ばれるようになったとのことです。

それでは石段を上って参りましょう。
写真で見ると結構急な感じですが、ふつうの石段です。


石段を上ると趣のある山門に到ります。


山門を入ると回向柱と本堂の屋根が見えてきます。右側に見えるのは鐘楼の屋根です。


そして石段を上がりきると…

本堂の前に出ます。この回向柱は前回の御開帳の時のもの(?)。ちょうど本堂の屋根瓦を(銅板に?)葺きかえたばかりで輝いていました。


本堂内は撮影禁止なので写真はありませんが、内陣には護摩壇が、またお釈迦様の涅槃像(ねはんぞう、お亡くなりになられた時のお姿の像)などがお祀りされていました。

また、長野の善光寺と同じくお戒壇めぐりも出来るようになっています。

そういえば、信者さんから寄贈されたという白蛇石もありました。石の表面に白蛇が浮かびあがっている模様の石です。

ところで、善光公が難波よりお迎えした御本尊様は仏勅により長野に遷座されたのですが、現在の本尊様は善光公自らが一刀三礼し、もとの阿弥陀様と同じ大きさに彫られた御尊像とのことです(ということは1400年以上も前のお仏像?)。


さて、元善光寺の境内には可愛らしいお地蔵さんがそこかしこにいらっしゃいました。

木の根元とか…


池のほとりとか(カエルたちも一緒に)…


岩の上にも…


愛らしい姿に心がなごみますね。

みなさんもよかったら参拝の折には、探して…手を合わせていただくとよいと思います。


また、境内には「元善光寺数え唄」の掲示板がありました。地元では古くから歌われていたのかな。


せっかくなので、お線香を買ってきました。帰ってきて早々にうちの本堂でお供えしましたが、白檀のよい香りがするお線香です。


このお線香には付録がありました。

「つもりちがい十ケ条」


それから名物「座光寺まんじゅう」も。門前にお店がありました。こちらもうちの本尊様のお供えに。

このおまんじゅうは、百年以上も前のこと、元善光寺に釣鐘が奉納されたのを記念して、近くにいた尼僧さんがつくったのが始まりとのこと。今でも尼僧さんから伝授された製法でおまんじゅうを作っているそうです。


補記:

元善光寺のあるところは、なぜか座光寺という地名なのですが…

開基の本多善光公は、阿弥陀様を飯田の地にお迎えしてから41年の間、臼の上にお祀りしていたそうですが、この臼からは光明が輝いていたのでこれを座光(台座が光った)の臼と呼び、元善光寺の寺宝となっています。

この座光の臼は宝物殿にあるそうですが、わたしはそうとは知らず宝物殿を拝観しないままに帰ってきてしまいました💧

次に参拝できるのはいつになることやら…せっかくの霊宝なので、みなさんはくれぐれもお忘れなく。


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