見出し画像

『国境の南、太陽の西』村上春樹 読書リストvol.1

以前も書いたもしれないが、私は村上主義者、世間で言われるところのハルキストである。村上春樹の作品はあらかた読んでいるし、賛否が分かれる作家という事は承知しているが、私は極めて好意的に彼の作品を楽しんでいる。

では村上作品の何が良いのか。あまり周囲に村上春樹を好きな人がいないため、私は絶対的な主観になるが、1.当たり前の日常を美しく描く文体、2.孤独主義な主人公の心理描写、この2つに心地よさを覚える。正直私にとっては、ストーリーや細かい表現のメタファーではなく上記2点が滑らかに自分の中に流れ込んでくるその感覚を楽しんでいる。例えるなら、落ち着いたクラシック音楽を聴いているような感覚になるのだ。

興味のある人はぜひ意識して読んでほしいが、村上春樹の描く日常シーンでは、端的だがイマジネーティブな料理シーンや、ジャズを嗜みながらバーでお酒を飲むシーン、本を片手にベランダでタバコを蒸すシーンなど、誰もがなんの気なしにやっている行為が美しい言葉で描かれる。派手なアクションや濃厚なベッドシーン以上に、これらの日常の所作をここまで綺麗に言語化している作品に出会ったことがない。

また、どの作品にも共通して、孤独主義で内向的な主人公が登場する。排他的とまでは言わないが、人付き合いが得意とは決して言えず、内省しがちな主人公。程々の女性経験を持ち、自分の精神と肉体の成長に自覚的。古典、文学、音楽を嗜み、それら教養から意味を見出す。どうにも自分のことを書いているのでは?というほどに、深い共感を感じる。

前置きが長くなったが、本作『国境の南、太陽の西』は村上春樹初期の長編小説。最近の彼の本はあらかた読んだので過去作に挑戦というわけだ。

近年の彼の作品が、現実と空想の世界観を混ぜたものであるのに対して、本作では1人の男を中心にその人生の変化を追っていくというシンプルな構成。

男の小学校、中学校・高校、大学、社会人、結婚後と時系列で話は進む。そのストーリー自体に深い意味はないのかもしれない。大人になるにつれて精神と肉体が成長し、女性を愛したり傷つけたりする。社会人となり、仕事を始め、家庭を持ち、仕事と家庭を切り盛りしていく。こう書くと、特段小説にするような波乱万丈な人生ではなく、誰も彼もが葛藤を抱えながら生きており、その一部を切り取ったようなそんな小説だ。

一晩で読み切ってしまったが、私が感じたのは、今この充電期だからこそだが、以下3点

①夢・幻想と現実のギャップ

②自分は周囲に本当に恵まれているということ

③健康で文化的な生活への志向


①夢・幻想と現実のギャップ
人と比べることに何ら意味はないが、私の人生はそれなりに苦労の多いものであったと自負している。ただそれは取り立てて不幸があったとか、不運な境遇に生まれたとかではなく、私自身が人よりも感じやすく、流されやすい性分だったからだと今になってみればわかる。「自分は何者か」この問いは昔から、本当に幼稚園の時から答えるのが苦手な質問だった。今でも覚えているが、幼稚園の発表会で毎年「将来の夢は何ですか?」という質問を受ける。周りの友人は、消防士とかお花屋さんとか、ピカチュウとかそういう子供らしい微笑ましいものを堂々と発表する。ただ、私は何も思い付かず、とっさにパン屋さんと答えたことがあった。それから歳をとって小学校に入ると、卒業文集でまた同じ質問をされる。「将来の夢は?」小学校になると、野球をやっている子はプロ野球選手、父親が大工だから大工など、少し地に足ついた回答が増えてくる。しかし、スポーツに打ち込んでいるわけでも、父親に憧れているわけでもない自分はまた回答に困る。勉強は人よりできたから、算数の先生とか書いた記憶がある。ただ、先生になりたいと思ったわけではなく、そう書いておけば誰からも何も言われないだろうというその場しのぎの回答だった。どうしても将来の夢、なりたいものと言われると、周りからの目線や自分がそれに足る人間かを気にしてしまうのだ。中高に入ったのちは、緩やかな時間の流れの中で自分なりの青春を謳歌していたが、この時もまだ将来の夢、なりたい職業なんてものは決めることができなかった。やっぱり何となく勉強が得意で、広く社会全般に興味があったから、政策とか都市とかの分野に関われればとは思っていた。大学進学後、人の数倍いろいろやったが、その結果逆に何をしたいかがわからなくなる。何をしたいかではなく、何ができるかで就職先は選んでしまった。そこまで間違った選択ではなかったとは思うが、「仕事」のもつ意味を深く考えれていなかった。仕事とは、収入源であり、自己の能力を社会に換言する場であり、自己能力を高める場であり、社会的なステータスであり、1日の半分以上を費やすものである。そしてそれは職業であり、幼い頃から度々聞かれた「将来の夢」の答えなのである。そう考えるといてもたってもいられなくなって、具体的な行動を起こしてしまったという次第だ。少し遠回りしてしまったが、コンサルタントという職業を選んだわけだが、これを過去の自分が知ったらどう思うのだろうか。

だいぶいろいろ書き連ねたが、言いたかったのは、数か月道草食ったが、ある程度満足のいくジョブチョイスはできたということ。Tierの問題はあるだろうが、それは結果を出していく中で、自ずと高めていける可能性のあるものだ。こういう環境に移ったことで、人生をただ摩耗させるのではなく、高め続ける必要のあるそういうゲームに突入した。高校時代そうであったように、自分にとってギリギリ手が届くか届かないあたりを目標にし、ひたむきに自己を研鑽していく。そういう生き方が今後数十年にわたって求められる。適切な目標と日々のアクションプラン、これを適切に立てていきたい。そういう生活こそが自分にとっては張り合いのある生活であり、幼き日の自分に誇れるものなのであろう。

②自分は周囲に本当に恵まれているということ
自分を真に認めてくれる人がいて、家族がいて、心の許せる友人がいて、遊んでくる知り合いがいて、恩師がいて。その事実には心から感謝しなければならないなと。私自身、社交的だと感じた事はないが、一人一人との向き合い方、接し方はほんとこれからなお一層大切にしていかなければならない。
やっぱり、自分の強みは、「誠実であらんとすること」、「着実な努力を厭わないこと」、「向上心を常に持っていること」である。
真面目すぎるとダメ、数ヶ月前にその事実に絶望したのだが、それは真理である一方で、真面目だったことが悪いのではなく、準備が足りていなかった自分の力不足さでもある。

③健康で文化的な生活への志向

彼の小説を読んで、毎回思うのは、人間的で文化的な生活とは何かということだ。
そうそ
激務の仕事、無限の娯楽がある現代人にとっては、25条が保証する文化的な生活をイメージするのは難しいのではないか。

小説で描かれる主人公は、
1.定期的に体を動かす趣味を持ち、肉体は程よく引き締まっている。総じて、水泳やジムを好む。
2.クラシックやジャズに通じる
3.定期的に健全なセックスをする
4.読書をする
5.外食やテイクアウト生活ではなく、程よく料理をする
6.きれいにお酒を嗜む

この6つに加えて、自分が満足のできる仕事、温かい家族、友人、そして自分が適度に成長していけることを感じている、そのくらいがあれば、その人生は十二分に幸せなのだろう。 

そうとは知りつつも、若気の至りからか激務職を選んだ。もっと上を目指したいという思いと、体裁からだが。なので、私が考えるべきはいかに激務をこなしつつ、文化度を保つかという真のワークライフバランスに挑むこと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?