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『人生論ノート』 成功と幸福は別物

三木清『人生論ノート』1949年

西田幾太郎等の影響を受け、戦前に活躍した哲学者。反体制的な発言も多く、治安維持法違反で投獄され、獄中死した人物。本作は死後発表され、ベストセラーになったもの。人間中心主義(ヒューマニズム)の思想が詰まっており、幸福について、怒りについてなどの人生における哲学的テーマで構成されている。

<個人的キーポイント>

・幸福と成功は違う。幸福はアリストテレス曰く、観照的生活から生まれ、中庸であること。成功は、社会の価値基準でいう量が多いこと。月なみだが、幸福は生活の質で、成功は量。なので、成功しているけど不幸。成功とは言えないが、幸福というのもあり得る。幸福と成功を同一視してしまうのは我々が資本主義の奴隷だから。

・虚栄心と名誉心。前者は自分を不特定多数の社会に対して良く見せようとすること。後者は自己の中で自分に誇りを持つこと。つまり、前者において、人は個ではなく、一般的な存在として位置づけられている。後者は自分を個性として認めている。

・生活と娯楽。近代に入り、生活とは異なる領域の娯楽というものが重視され始めた。近代以前も祭りなどを楽しむ非日常はあったが、現在は生活は苦、そうでないものを娯楽としている。しかし、本質的には生活の中に娯楽がある。生活自身を楽しむとが肝要である。芸術は一つの娯楽であるが、芸術家から見ればそれは仕事である。つまり、生活と娯楽という分け方がおかしい。生活を楽しむそれが幸福である。そして、真に生活を楽しむためには"発明的"である必要がある。

・修養とは習慣を自由に形づくること。習慣を作ることが道徳である

・人は軽蔑されたときに最も怒る。なので、自信のある人は怒らない。自信のあるものは静かで威厳を備えている。

・自信は自分でものを作ることによって生まれる。人間はものを作ることによって自己を作り、個性となる。

<感想>
 本作からの大きな学びは、「幸福」であることをどのように定義づけるかに対する洞察である。幸福は成功ではなく、お金があることや他人から愛されることではない。幸福とは社会において自己の存在を自覚し、自分の人格を形成することだ。これはつまり、世間の価値観や基準に縛られることなく、自分の基準で生き、自分が満足する形で日々を送れることこそ幸福であると説いている。SNSが普及し、他人の生活が手に取るように伝わる今、どうしても自分の生活と他人の生活を比較しがちである。しかし、そこに成功はあっても幸福はないと三木は語る。
 そして、自己を確立していくには「創造的活動」が大切である。世界を自分なりに切り取り、自分で何かを作り出していく。その過程こそが自己を見つめ直すことになる。ただ純粋に「表現する」。これが自己理解に通ずるのである。
 善の研究にも通ずるが、幸福をどこか高みにおくのではなく、日常性の中で発見するのが大切というのはとても理解できるし、それが生きることの極意であると感じる。

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