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「ロリータ」ナボコフを読むために

ナボコフの小説「ロリータ」がロリコンの語源になったことは誰でも知っているが、意外と読む人は少なく、難解だという声も多い。

そこで簡単な解説を試みることにしたい。

ナボコフについて

作者ナボコフはロシアの裕福な家に生まれ育ったものの革命によって一家ともども国を追われ、ケンブリッジで学び、ベルリン、パリの亡命者グループの中での執筆活動ののち、アメリカに移った。

アメリカの大学でロシア文学の教鞭をとる傍ら執筆活動をつづけていたが、「ロリータ」がセンセーションを引き起こし、たちまち売れっ子となる。ハリウッド映画の仕事に手を出してみたり、なかなかの商売上手なのだ。

ナボコフの文体の特徴は、濃厚な味わい、的確な比喩、辛辣な皮肉・からかい、ヨーロッパ仕込みの豊かな教養といったところだが、これらは「ロリータ」の主人公ハンバート=ハンバートに投影されている。

「ロリータ」のあらすじ

ハンバートが食い詰めてヨーロッパからアメリカにやってくる。

ハンバートは未亡人シャーロットの家に下宿することを決めるが、その動機は娘ドロテア(ロリータ)にニンフェットの姿を認めたからだった。かれは成人女性とセックスするのに何の支障もないのだが、幼児の体験がもとで熱望するのは9歳から14歳までのある条件を備えた少女なのだ。ハンバートはこれをニンフェットと名付けた。つまり人間ではなく、ニンフの本性を現すような乙女と説明する。

徐々にロリータとの距離を詰めるランバートに気づかず、シャーロットはこの変態中年男に惚れて、ついに結婚にこぎつける。

ハンバートの本心は別にあるのであり、気取られぬようにロリータに近づいては欲望を満たし日記に綴るがやがてシャーロットの知るところとなり、逆上した彼女は友人あての手紙を書いてポストに向かうところ、車にはねられてあっけなく死んでしまう。
ハンバートは町を離れてキャンプ中だったロリータを車に乗せると、ビアズレーの町にある女学校に入れ、自分も大学の教師の職にありつく。

ロリータはしばらく学校の演劇活動に打ち込むが、ハンバートとの間には、基本的な義務を果たすという条件で小遣いが支払われる関係ができている。

やがて学校生活に飽きたロリータは、町を離れて旅にでたいと言い出した。

以後はハンドルを握るハンバートのオデュセイア物語なのだが、故郷イタケをめざすオデュセウスと違ってハンバートには目的地もなく、世間の眼を偲んでモーテルやホテルを転々とするばかりなのだ。

短い滞在を繰り返しながら広いアメリカを西へ東へ二人は放浪するが、あるときからハンバートは追跡者の存在に気づく。

ロリータはしばしば不審な行動を見せるが、やがてハンバートの待つクルマに戻ってこない日がやってきた。

茫然自失のハンバートだったが、追跡者の影を追って見つけた宿帳の中に自分の同類の痕跡を認めるものの、ついにロリータの姿は消え去った。

三年の歳月がむなしく流れたのち、ハンバートのもとにロリータから援助を求める手紙が届いた。

再会したロリータはニンフェットならぬ妊婦の姿だったが、かつての誘拐者の名を訊きだしてシャーロットの家を処分して得た金を渡すと、ハンバートはかつてのライバルのもとへと向かった。

劇作家クィルティの家にたどり着いたハランバートは、しばしからかってみたのち拳銃の弾を次々と撃ち込んだ。


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鱗翅類収集家としても名高いナボコフ

いくつかの注意点

ネット上の書評には難解だという声が聞こえるが、「ロリータ」の随所には、さまざまな比喩、言い回し、言葉遊び等があふれているせいだろうか。

これらとうまく付き合わないと停滞するばかりで、読書は進まない。

若島正の新訳はナボコフ自身によるロシア語訳にもあたった注釈がついていて参考になるのだが、つまりこの作品は、英語版では一般読者には理解不能な遊びの洪水にあふれていることなのだ。

時間のたっぷりある向きはじっくり付き会ってみるのもいいが、ここはひとつ適当に受け流して読書を楽しむことを優先したほうがよいだろう。

作品全体を通して、ヨーロッパ文明人であるハンバート=ナボコフの眼が見たアメリカが描かれている。それは別段否定的なものではないのだが、やや冷ややかな視線と感じられるだろう。

ロリコン正式にはロリータコンプレックスという言葉は、この作品がブレークしたのちに造られたのだが、現在の日本においてはナボコフの想定した年齢よりも下の少女たちへの性愛がもっぱら対象とされるようだ。

そんな性向を持った人物が「ロリータ」を読んでみても、期待を裏切られるばかりだろう。それはロリータの年齢のせいというよりも、「ロリータ」には卑猥な言葉や描写など一切ないからだ。

最後にナボコフの遊びをひとつだけ例に挙げてみることにしたい。

ハンバートはケースに収めたオートマチック拳銃を手元に所持して手入れ怠りなく、最後の場面でクィルティを殺害するのに使用する。

「拳銃とは、原初的父親のまんなかにある前肢のフロイト的象徴」だとナボコフは解説するのだが、当時アメリカで流行していたウイーン由来の精神分析を揶揄しているのである。





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