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「戦艦大和ノ最期」吉田満

東大生だった著者は学徒動員され、連絡下士官として大和に乗り込み沖縄に向かう・・

敗戦後に発表された吉田満の海戦記録である。


召集を受け海軍下士官として訓練中だった吉田は、こんなエピソードを記している。

甲板ですれ違った水兵が反抗的な態度を示したので呼び戻し、顔を殴ったというのだ。

当時の軍隊では海軍も陸軍も上官が部下を殴ることは日常茶飯であり、むしろ教育の一環として奨励された節さえうかがえる。海軍では一日の訓練の終わりに、精神棒とか称される木の棒で兵の尻を叩くのが恒例だったとか・・

吉田が水兵の顔に読み取ったのは、「大学の青二才」「潮の味もロクに知らない秀才め」といったニュアンスの軽蔑的な顔色だったことは想像に難くない。吉田も日ごろの訓練で、水兵に舐められぬようにと厳重に教えられていたのだろう。


さて戦艦大和はよく知られているように、戦争末期、孤軍奮闘する沖縄に加勢するために片道の燃料を積み込んで出撃する。


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すでに制空権は米側のものであり、たちまちアメリカの戦闘機が雲霞のように襲ってきた。吉田の座る位置は艦橋の司令官たちの真後ろで、分厚い鋼鉄の艦橋には横一筋1ミリの切れ目が入っていて、そこから外の様子が見てとれた。
艦隊を守る護衛機はなく、グラマンが大和の艦橋めがけて機銃弾を浴びせてくる。大きな口を開けて笑いながら狂ったように向かってくる操縦士の顔まで見てとれる。艦橋の切れ目に潜り込もうとする銃弾はじれったそうに身をよじるが、目的を果たせずに力尽きて落ちてゆく。

炸裂する爆弾は艦橋を破壊するまでには至らないが、ときおり爆風が艦内を襲うようになり、吉田が振り向くと、後方に座っていた同僚の学生二人の顔は吹き飛んで、胴体は肉の塊と化していた。

艦隊は雷撃を避けるためにS字航行するが、大和の横腹には魚雷が次々と命中してゆく。

浮沈戦艦の神話もむなしく船体は傾き、ついに大和は沈み始めた。

退避命令が下り、吉田たちも甲板に出て海面に飛び込んだ。

鼻を衝く重油の海に浮かぶことしばし、吉田は救助艇に収容されて一命をとりとめる。


日米開戦時に重戦艦はその役割を終えており、その象徴的戦闘は、マレー沖海戦でイギリス戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウエールズが日本の攻撃であっという間に沈められたことだろう。

そして終戦を待つことなく、こうして日本を象徴する戦艦は深い海の底に沈んでいった。

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