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わたしを創るものたち★笑病日誌

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わたくし、高山笑韻をかたちづくってきた過去の出来事のオハナシ(^^)笑いのエッセンス散りばめてもダークなあの時期も、もはや生クリームたっぷりのフラペチーノを食べた時のようなほっこ…
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#日記

笑病日記「白いキョトン」

忘れもしない、去年の7月1日に風邪をこじらせ3か月以上続いた咳のため内科を2件あっちへ行き、こっちへ行き全身を揺らしておそらく喘息であろうが治らない状態が続いていたため専門医である街の専門医である某クリニックの診察を受けることにした。 時はコロナショックの何派であるか…もうそれもわすれてしまった。しかしあのコロナが間接的にであるが私の命を救ったかもしれない。そうでも思わないとやっていられない。 一時期、メルカリ等のフリマアプリで転売が相次いで問題になった、指先にくっける例

笑病日誌「ホップステップ、ゼンシン」

今日とある方とお話をしていて、来年の話になり私はウサギ年なので年女じゃなくなるわぁーとか、年末年始の予定を聞かれて体調が心配で…などとお話をしていました。実は昨日も喘息の発作の前触れが表れて、以前はイチマルキューイチマルキューと頭を悩ませながら私より慌てる母でしたが今回は、なんとかかかりつけの病院の呼吸器内科の先生に見て頂くことができました。 検査や何やらすませて、帰宅が出た時にはもうお月様がお空に輝くそんな時間帯で帰宅した私たち母娘にお腹を空かせて待っていた父にフライング

わたしのこと

はじめまして。笑が韻を踏み笑顔が笑顔を運び込むように名付けたペンネームというのは後付けでわたしのことを少し。 1987年10月 静岡県浜松市に生まれ小学生時分当時は珍かった不登校になりました。小学生ながら先生怖いという本音が言えず、ただ朝お腹いたい(ふり)で夜は寝付けず朝はもちろん起きられず、ただただ子供クリニックに通う日々でした。 そこの先生が児童精神科に繋いでくれましたが、記憶にあるものは緑色のソファと羊?のような動物の額縁の絵。 ここでも自分の心を悟られるのが嫌だ