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屋根上のAir Pods 〜マグノリアみたいにウソのようでホントな話〜

1961年度の検死医協会、会長のハーパー博士は以下のような自殺の事例を披露した。
自殺を試みたのは17歳の少年、シドニー・バリンジャー。1958年3月23日、ロサンゼルス。失敗に終わった自殺は一転して殺人事件となった。なぜか?自殺の意志はポケットの遺書で確認された。彼が9階建てのビルの屋上に立ったとき、3階下で激しい夫婦ゲンカ。この夫婦が銃で脅し合うのは珍しいことではなかった。ショットガンが暴発したとき、窓の外にはシドニー。それだけではない。この夫婦は、撃たれたシドニーの母親と父親だった。駆けつけた警官も最初はこの事態をのみ込めなかった。母親曰く、「銃は空だと思っていた」と。父親も「撃たれるとヤバいだろ?誰が弾なんか入れるか」と。
同じビルに住んでいるシドニーの友達が、事件の6日前、弾の装填現場を見ていた。激しい喧嘩に明け暮れる両親を見ていて、耐えられなくなったシドニーは決着をつけようと考え、なんと銃に弾を装填したのである。
つまり事件の概要はこうである。シドニーは9階から飛び降りた。3階下で両親は大ゲンカ。暴発した銃弾が窓の外を落下する息子の腹に命中。即死だったが落ち続けて、3日前から張られていた窓拭きのネットの上に落下。銃弾が当たらなければ助かっていたわけである。母親は息子殺しで起訴され、息子は自分自身の死の共犯者となった。
これを偶発的事件と言いきれるだろうか?滅多にあることではない。しょっちゅうあっては困る。これを「よくあることだ」と片付けることはできまい。世の中不思議は多いのだ。

これは存命の映画監督の中で僕が最も好きな監督の1人であるPTAことポール・トーマス・アンダーソン監督の傑作群像劇『マグノリア』の冒頭である。この冒頭は映画史にも残る超情報過多な冒頭だと思う。とにかく早口。作品は全体を通して、ロサンゼルスを舞台に、一見関係のない男女9人の24時間を3時間かけて描く。そしてトム・クルーズ史上最もイカれたキャラクターを演じており、全国のトム・クルーズファンは必見である。その後、トム・クルーズが傾倒していったサイエントロジーの世界について、この映画を製作した13年後の2014年にPTAは『ザ・マスター』で描いているのも、これまたおもしろい偶然。

今日はそんなウンチクを披露したいわけではなく、兎にも角にも先日、菅野の身にも、『マグノリア』に負けずとも劣らない偶然すぎる不幸が襲いかかったのでおすそ分け。他人の不幸話ほどおもしろい話はない?でしょ??

2023年2月2日(木)、時刻は午前11時20分。朝がゆっくりにも関わらず、いつもどおりデッドの時間の電車はギリギリ。つま先で引っ掛けたスニーカーを履きながら、財布の中に入っている鍵を取り出し、玄関の鍵をしめる。鍵は財布にしまい、ポケットに財布をしまう。2,3歩と進んだところでマスクを忘れたことに気づき、ポケットに入っている財布とともにスマホとAir Podsを取り出す。取り出した財布の中から玄関の鍵を取り出し、開け、無事にマスクを手に取る。この時点で電車のデッド時間との戦いはますます白熱。玄関の鍵を再びしめ、小走り。その時である。左手で持っていた財布、スマホ、Air Podsのうち、ものの見事にAir Podsのみがすり抜け落下、と次の瞬間、落下途中のAir Podsは小走りの菅野の左足つま先に直撃。小走りの勢いそのままに振り上げられた左足と同時にAir Podsは見事に本体とケースが分離。そのうちのケースと右耳は道路に落下。そして、なんと左耳に関しては隣のアパートの屋根上まで飛んでいってしまった(菅野は4階から蹴り上げた)。

Air Podsが宙に浮こうが、屋根を飛び越えようが電車の時間は変わらない。そのまま右耳本体とケースを手早に回収し、全力ダッシュ。電車に乗りながらふと冷静に「これマグノリアじゃん….」と思い返す。

ああ…空から蛙ならぬ空からAir Pods、大量に降ってこないかなあ….。降ってこないか。最も"Air" PodsらしいAir Podsだと思うんだけどなあ…。

なんて、新しいイヤホンを探しながら、くだらない妄想をする、土曜午前の白昼夢。

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