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Yさんと遊んで119番

そして、島に来てやっと同年代の友達ができた!

私の働いていたスパはスタッフが私ともう1人しかいなかったので、
いつも話す相手はその1人しかいなくて、
しかも、まさかのあまり気が合わないという死活問題。

(私より10日ほど早く入社して小浜島に配属されてたのだけど、それだけでめちゃくちゃマウント取ってくるタイプだったので、心のシャッターをそっとおろしました。表面的には仲良くしました。大人なんで。)

なにせホテルが広いので、
他部署のスタッフと知り合う機会も少なく、
帰る時間もスパスタッフは夜遅いので、
寮でもあまり人にすれ違うこともない。

そのことはけっこう悩みのタネになっていて、
この広大なリゾートホテルにいながら、
なんだかとても小さく狭い世界で暮らしているような気持ちになっていた頃。


Yさんとはひょんなことから知り合いになった。

同じホテルの別の部署で働いていて、
仕事中に顔を見ることはほとんどなかったのだけど、
寮の部屋が同じ階で、私とは歳が近く、
必然的にマブダチになってしまった。

彼女は明るくて頭が良くてよく喋り、
細かいことは気にしない、
私の好きなタイプだった。

リゾバで日本中を転々と渡り歩いていて、
でも本業は料理教室の先生というおもしろい子で、
Yさんと仲良くなってからは生活が一変した。

休みが合えば一緒にお茶したり、
レンタカー借りて石垣島めぐったり、
お互いの部屋を行き来したり、
星を見に行ったり、
お散歩したり、
シュノーケルしたり、
バナナとかもずくとかもらったら部屋のドアやポストにお裾分けし合ったり、
お前ら付き合ってんのか?とまで言われるほどにしょっちゅうツルんでた。笑

とにかく楽しかった。
そう、私は同世代の気を遣わず話せる女友達に飢えていたのだきっと。
どーでもいい話してる時間さえも特別に思える。

Yさんはいわゆる陽キャでコミュ力オバケだったので、
一緒にいると勝手に知り合いが増えるシステムだった(笑)

少しずつ、顔見知りが増えていくのが嬉しかった。

そして事件は起こる。

このホテルには1年くらい勤務したのだけど、

最後に有給消化でYさんと島内をチャリで一周しながら、
ビーチに行ったり写真を撮ったり、
観光客気分で遊んだ。

そしてその日の夜、ヒザに激痛!!

翌日は歩くこともできず、
日曜だったので島の診療所は休みだし、
石垣島のゴッドハンド先生の病院もやってない。

やむなく119番するという事態に。
ちなみに島で119番しても救急車は来ません。

オペレーターが島の医師に連絡を取ってくれるだけです。

重篤な場合は診療所の医師や島の消防団が現場に駆けつけて、
その場で処置するか、
普通のワゴン車で診療所に搬送したりする。

そこから船で石垣島の病院に行くか、
船が出ていない夜間だったら、
石垣島からヘリが飛んできます。

余談だけど、ヘリの出動はめちゃくちゃお金かかるらしい。
もちろん税金が使われる。

なので、何度もヘリを呼んでしまう事態になる重い病気の人は石垣島の病院に入院するか、
石垣島に家を借りたりせざるを得ない。
親戚の家とか。
じゃないと役場から注意されるとか。

ちなみに島では出産ができないので、
島の妊婦さんも臨月は石垣島に滞在させるのが決まり。
小浜島に戻るのは日帰りのみ、泊まりはできない。

まぁこの時はまだ強直性脊椎炎という難病だとは思ってもなかったので、
事故でも転倒でもない、
チャリ漕いだだけでヒザ痛めたどんくさい私のために、
島の医師が日曜に診療所を開けてくれました。
強めの鎮痛剤と湿布もらって終了です。
ですよね。
すんません。

でも折れてるんじゃないかと本気で思ってた。
そのくらい痛かったんだもん。

つづく

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