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では手始めに、大阪から滅亡へのカウントダウンをしましょうか。

2021年4月7日、大阪に医療非常事態宣言が出た。
医療が逼迫しているとのことだ。

非常事態宣言を早々に解除したときに想定していたことであるし、はいはい、そりゃそうでしょうよ、で、今後どう対応していくつもりなの?
府民としてそんな強気な思いを抱いていたが、仕事帰りに赤く光る太陽の塔を見て、急に不安になった。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。

解除されたからってみんなが遊びだしたから、こんなことになったんだ。なんでみんな我慢できないんだよ、って怒りもあり、自分が我慢しているというフラストレーションもあり、思わずInstagramのストーリーに赤く光る太陽の塔とともにこんなコメントをつけて流した。
「赤くなっちゃった
大勢で会うの、なんでみんな我慢できないんだよ」

友だちが前にストーリーであげていたことに対するレスポンスの意味もあった。
アウトドア派で友だちも多くてご飯が大好きなあの子はこう言っていた。
「自粛なんてして、どんどん店が潰れていって、苦しい生活に自殺する人がいっぱいいる。そんなの間違っている。みんなもっと外出するべきだ」って。
反射的に、それは違うでしょ、って思ったし、そんな風に思っているんだ、って悲しくなった。でも、そういう風に考える人も少なからずいるし、それが全く正しくないわけでもない。ある一面では正しい。
なにが自分にとって大事なのかが、違うだけだ。
自粛できない、しない人たちが悪いのではない。
政府の対応が悪いんだ。
慌ててストーリーを取り消した。

とはいえ、基本的にはわたしは自粛するべきだと思っているし、しない人たちは考えなしだと思わざるを得ない。医療がそれをもっとも必要としている人に届かない、なんてことが自分の我慢不足でおこるのを許すことができない。医療を必要とする人たちが、治療を受けられる日々が当たり前であるように、そのために外出を控えれば良いだけなら、わたしはまだまだ耐えられる。
それをおしてまで必要な外出なんて、あるだろうか。誰かの命よりも重いものなんて。

なんて言えるのは、わたしが家族と暮らしていてそんなに寂しくないからであるし、そもそもあまり1人が苦ではないタイプだからだ。一人暮らしであったり、いつも人に囲まれて過ごしていた人が急に人と会わないようにしたら、精神的に参ってしまうことはわかる。ほどほどに、仲の良い人とはリスクを踏まえた上で会ったりしてもいいし、わたしも友だちと会ったりはする。仕事以外全くどこにも行かないわけではない。
ただ、政府の見解の通り、大勢での会食を避けることやそれに準じる行為をおこなわないくらいのことはしている。だって、しないと守れない命が増えるのだ。
人の命を人質に、自粛を迫る政府の対応は、本当にひどい。
魂を悪魔に売り渡すとは、こういうことかと思う。

さて、この悲惨な状況ななか、希望を見出すことができるとすれば、ワクチンだ。

最初わたしは日本の医学のレベルだったらワクチンは世界的にみても早い段階で完成し、どの国よりも早くこのコロナ禍は終息するのだと思っていた。
あまりにも甘い幻想だった。
イギリスとアメリカのワクチンを購入する話になっている段階で、おかしいな、と思い、もしかしてまたも利権がらみで大量の資産を失うのかと半分諦めた目でニュースを見ていた。
なんと現実はより悪かった。
ただただ日本にはワクチンを作る力がなかったのだ。
信じられない。
国土に恵まれないわたしたちは、知力で先進国となったのではないのか。知力で経済を発展させてきたのではなかったのか。

前々から言われていた、国力の衰えをこんなかたちでまざまざと見せつけられ、わたしは怒っている。
日本スゴイってテレビ番組をきゃっきゃと見ている老人に言いたい。
「ねえ、この国のどこがスゴイの?」
中国や朝鮮を貶すレイシストたちに言いたい。
「ねえ、まず日本のヤバさを見なよ」

まぁ、非常時でなくても怒っていたんですが、これらの人々には。

政府のどこを見ているのかわからない対応や、大阪府の口調だけは強気のほぼ無策な対応に腹は立つし、みんなこれでわかったでしょう?
自民党も大阪維新の会もクソじゃん。
全然わたしたちの身になってくれてないじゃん。

この現状をみてなお、「他の政党だったらもっとヤバかった」とか言う人はもはやお話にならないのでわたしの文章なんて読まなくていいよ。時間の無駄だ。
とゆうか結局、ちゃんと日々考えて生きている人はコロナ禍でも言われなくても勝手に情報収集して勝手に自粛したり、苦しい状況のお店を助けたりしている。
そしてそんな人は、今の政治のヤバさにも前から警鐘を鳴らしてきているだろう。(もちろん、今回のコロナ禍での対応で政府のヤバさに気付いた人もいるだろうが。)

全く、うんざりする。
国のためにも国民のためにもならない私欲で政治をおこなわれることに。
もはや政治家って頭が悪いんじゃないかと思ってしまう。少なくとも知性は備えていない。
政治家だけではない、選挙という制度そのものにもうんざりしている。
しっかり考えて投票した1票が、なにも考えていない惰性で投票した多くの票にあっさりと灰燼に帰すのだ、いつもいつも。
それでもわたしが投票に行くのは、このような文句を言うためには投票に行っているという事実がなければ口だけのやつになりさがってしまうからであって、実際にはわたしの一票なんてほとんど無意味であることを知っている。多数決とはそういうものだ。民主主義とはそういうものではないと信じているけれども。

そして、4月25日非常事態宣言発令。なぜこのタイミングなのかと言いたいが、それよりも、多くの人が言うように、この1年なにをしていたんだろうか、ということだ。補償は十分に与えないのに自粛は要求し、東京オリンピックは開催し、ワクチンはまだ医療従事者や高齢者にも行き届いていないにも関わらず、変異型が出てきた。
こんなこと、1年前に想像できただろうか。もう少しましな今を想像していたのではないか。
今から1年後を想像することは難しいが、あまり良い想像はしないでおこうと自分を慰めつつ、このじわじわと真綿で首を絞められていくような絶望感を抱えて、日常生活を送っていくにはやはり芸術の力がわたしには必要なのだけれども、そこすら軽んじられて辛い世の中ですね。でも、絶望しながら生きていくのは得意なので、今まで生きるの楽だった陽キャたちもこの絶望感を味わってみろ、そして苦しみを抱えてそれでも生きろ、と悪いわたしが少し顔を出しているのはここだけの秘密ということでどうぞよろしく。

この絶望感の中、それでも生きよう。
しんどいけど、一緒に。


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