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私と絵

あたまの整理

私の周りには絵が上手な方が多い。
それを生業にしている方もいらっしゃるが、趣味でとんでもなくクオリティの高い絵を描く方があまりにも多すぎる。
なので、自分と絵って何だろうってあたまの中を整理してみた。

子どもの頃の絵

子どもの頃は絵を描くのが大好きだった。
たまたま(だと思っている)入った幼稚園がお絵描きに力をいれており、水彩絵の具の前にコンテやパステルを使って絵を描いていた。
幼稚園では先生に「せんせー、絵ー描きたーい!」しか言っていない気がする。
お絵描き熱は家でも継続しているので、外でわんぱくに遊んだが絵も描いた。
新聞広告の裏では足りないので、父が会社で不要になった図面の裏紙を持ち帰ってくれた。このご時世だと機密情報に当たる気がしなくもないが(汗)、ブループリントいうのか、青図というのか青字で印刷された設計図みたいな紙をたくさんくれた。
周りの子たちは当初大流行した「ジャポニカ学習帳」の「じゆうちょう」を買ってもらっていたので羨ましかったが、自分ちが貧乏だと知っていたのでもっぱらブループリントにひたすら絵を描いていた。
薄い画用紙みたいで鉛筆のノリがよかったのを覚えている。
がんばれ!!ロボコンだったか、エンディングソングの後でお絵描きコーナーみたいなのがあって、親がこっそり応募してくれていた。
ブループリントの裏に描いた自分のロボコンが登場した時には少々驚いた。

下の絵は5歳の時の「やね」。私の幼少期の絵はこの1枚しか現存しない。
色紙をキャンバスに割り箸の先を削ったペンを使い、墨汁で描いたのものに水彩絵具で着色。
かなり、いやほとんど先生に手伝って仕上げたものと思われる(笑)

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大人になる頃の絵

その後、小・中学校と図画工作は好きだった。好きな科目はと聞かれると必ず図画工作と応えていた。相変わらず遊びのひとつと捉えていた。
絵から離れる転機が高校時代。
芸術科目を書道・音楽・美術から選択することになった。
決め手は母親が言った「遊びじゃなくて書道にしなさい」の一言だった。
後天的に身についたものだが硬筆は得意だった。
毛筆はめっきりだめだったから挑戦の意味があったけど、絵を描くことを遊びと思っていたから敢えて書道を専攻した。
これを機に絵から遠ざかっていた。

大人になってからの絵

大人になってからはもっぱら鑑賞に興味を持った。
・・・と言っても出会いは偶然だった。
貯金を貯めて思い切って行ったイタリア周遊のツアーがきっかけだ。
バチカン美術館で観たミケランジェロの天井画『最後の審判』などなど。
ロンドン経由だったので大英博物館も訪問できたが、展示物が多くてとてもじゃないが見切れない。。。
そのため、ロンドンは4回くらいリピートした。
大英博物館、自然史博物館、ナショナル・ギャラリー、ヴィクトリア&アルバート博物館など有名どころには必ず寄った。
パリではルーヴル美術館、オルセー美術館だけしか行けていないが日数をかけて鑑賞した。
30代から40代の10年くらいは年一回の海外旅行での絵画鑑賞が楽しみになっていた。

その間、拠点を大阪から東京に移していた。海外旅行しなくても都内の美術館で開催される「〇〇展」に足を運べば絵を楽しめた。
最後に行ったのが東京・上野の国立博物館で開催された特別展「国宝 鳥獣戯画のすべて」だった。
ほぼ一日がかりで4巻にも亘る墨一色の絵画を眺めた。

その時の感動冷めやらず、パンフレットやチラシを見ながらボールペンでウサギとカエルを描いてみた。楽しくなってネコやサルなども描いた。
長らく忘れていた気持ちかもしれない。
気軽に絵を描く楽しみを久しぶりに感じた時だった。

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