【行動ログ】生活をデザインする「無用の用」

show_ando

こんにちは、show_ando です。

たすくまによる行動ログの効用を、別の切り口で見立て直してみました。
これって、2000年代の日米のITトレンドの違いに似ているなと思いつきました。

Webサイトのアクセスログを、分析・活用の対象(21世紀の原油)とした米国IT企業に対して、日本では、個人情報の保護法の成立やサーバー・リソースの負荷などを理由に、結果として破棄の対象になりがちでした。
この違いから選択したアクション、その成果も変わってしまったと思っています。

単純な対比ですが、普段おこなっている行為(とくにルーチンなタスク)は、あたりまえすぎて無価値と思っていました。
価値があるのは、何か新しいことや、おもしろいことなどができたときに、置いていました。

価値の逆転からのデザイン

この価値の逆転に気づいたことは、いくつかの記事で紹介しました。

そしてこの逆転によって、自分の生活がデザインしやすくなりました。

ここでいう自分の生活のデザインとは、
行為の収集と整理を通して、ざっくとしたある「パターンの塊」にする、
この「パターンの塊」を日々維持するとき「微妙な違い」があらわれてくる、
それをすくいあげ、吟味し、どうするかを「パターンの塊」に反映していく、
みたいな感じです。

パターンの塊

この「パターンの塊」は、たすくまで毎日、行動ログを記録していくと、日々の「ルーチンタスクのリスト」でまとまっていきます。

たすくまを使い始めたころは、行為の羅列が続きますが、それを「たすくまのルーチンタスク」に登録すれば、それが毎日「ルーチンタスクのリスト」に追加されていきます。

微妙な違い

この塊から微妙な違いをすくい上げることを、「ルーチンタスクのリスト」のメンテナンスとして実践しています。
また、あるタスクの記録の前後で、どんな感覚(身体面、感情面、思考面)を持つかを内観する「行動ログ瞑想」も利用しています。

たすくまをしばらく使い続けていくと、この「ルーチンタスクのリスト」のメンテナンスが主体となっていきました。
タスクを適切な順序へ並び替えたり、
「ルーチンタスク」を分割したり、併合したり、
また新しいタスクを発見して「ルーチンタスク」に追加したり、
「ルーチンタスク」のチェックリストの活用を考えたり、
こんなメンテナンスを日々繰り返しています。
さらに、たすくまを離れて、自分自身を内観する機会にも活用しています。
この内観は、ある行為の記録と結びつくから「行動ログ瞑想」と命名しています。
この内観も広義の自分自身のメンテナンスにも通じると思っています。

自分自身の再確認

こうして「自分とは何か」が、このルーチンな行為の面から現れてくるように思えました。

「ルーチンタスクのリスト」とは、今日一日、自分がすることのリストです。
その大半は、毎日必ず実行している信頼できるタスクたちです。
そのタスクの記録を通して、自分はどんな反応をするのかも確認しています。

生活のデザイン

毎日行うルーチンタスクだからこそ、最適化や効率化の対象にもなりやすく、結果として、自分の生活に「カイゼン活動」のような考え方も持ち込んでいます。

そして、このあたりまえの信頼できるタスクの流れの中に、「したいこと」をデザインするようにしています。

すでに信頼できるタスクの流れは揃っていますし、
あるタスクを実施したときの感覚のズレにも関心を向けています。

「したいこと」をしかける

次に「したいこと」をしかけるタイミングを練り、それによる自分の中の揺れを探りながら、定着させることに取り組んでいます。

最初は、まず弾き返されます。
でも、同じことを繰り返すことには慣れているのです。
次第に、これを定着できる確度も上がってきました。

たすくまというツールを通して、自分と対話しているので。

「したいこと」をデザインする

たすくまは、行為を記録するツールです。
まだ実施していない「したいこと」を体系的にデザインするツールとは違います。
この体系的にデザインするツールに「OmniFocus macOS版」を利用しています。
この活用法も、以前の記事で紹介しました。

いま GTD を、たすくまと OmniFocus との併用で実践中です。

たすくまの行動ログの特徴

以前の記事でも言及しましたが、たすくまで記録する行動ログを、自らの意思の記録としてとらえ直しています。
つまり、たすくまでタスク記録するとき、「これから〇〇をする」という意思を宣言し、その所要時間を計測するという行為にすることができるということです。

Apple Watch 等で記録するバイタルデータとの違い

Apple Watch で収集されるバイタルデータ(心拍数、脈拍など)も行動ログと見なすことができます。
でもこのバイタルデータは、意思に関係なく記録されることが違いです。

行動ログを意志にする

いまでは、たすくまの行動ログを、自分の意志ととらえています。
この文脈で自分の意志となるように、タスク名を読み替えたり、書き換えたりしています。

ここから「微妙な違い」をすくい上げていくと、自分との信頼関係も強くなっていくように思えてきました。

過剰に他人とのつながりを求めることは減り、
他者から何かを言われても、過度に自分を痛めつけることも減ってきました。

これってなんだろうと、行動ログ瞑想を続けて、自分に問い続けてきました。
おそらくこれが、自己肯定感や自己信頼が育ってきたのだと思えました。

終わりに

最後までお読みいただきありがとうございました。

今回は、過去の記事を「無用の用」というコンセプトで再編してみました。

この記事でも触れましたが、必要なものは、すでに受け取っている、与えられているのだと思っています。
大切なことは、それを「認知」することでしょう。
8年間、行動ログを記録し続けた取り組みからの気づきを共有しました。

わたしは note 以外での発信( Twitter, facebook, LINEなど)はしていないので、
今この記事をお読みいただいている方とそのご縁に感謝しています。

ではまた

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