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命の別名

中島みゆきさんの好きな詩の1つに『命の別名』がある

知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある

何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えていく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい

石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ
繰り返す哀しみよ 照らす灯をかざせ

君にも僕にも全ての人にも
命につく名前を心と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

この歌詞が好きで『あらかじめ決められた恋人たちへ』では主人公、僕の大切な人の名前にした。夢際(ゆめぎわ)で僕が『命の別名』と名付けるとき。

僕は彼女の名前を思い出そうとした。自分の陰茎の具合をしみじみと確認しながら、煙草一本分を吸う時間ずっと考えた。でもそれは無駄だった。変わりに僕は煙草の銘柄から彼女のことを『命の別名』と名付けた。
『あの娘』を吸っていれば彼女の名前はゆう子あい子りょう子けい子まち子かずみひろ子まゆみになっていたかもしれないし『幸福論』を飲んでいればそれなりの名前になっていたかもしれない。偶然にも煙草の銘柄が『命の別名』であっただけで、名前なんてなんでもよかった。

冒頭で文章について僕が語った時も。

自由と恋人について考えることは豊かな心の現れであるかのように、あるいは乏しい心の抜け殻に無理矢理押し込めるかのように、その言葉の意味を考え続けた。 
 そしてまた——それと同じくらい——僕は美しい文章の追究をした。
 美しい文章を書くことが言葉の意味を理解する方法だと信じていたからだ。
 頭の中で思い描く文章が美しいほど、文字に起こすと酷く醜い下水道を勇敢に突き進む得体の知れないものが書いたような文章でしかなかった。
 それでも僕は書き続けた。
 相変わらず酷く醜い下水道の中を突き進んだ。
 本当に美しい文章とはどんなものなのか?
 僕は何も知らない無垢な赤ん坊が書く文章こそが、真に美しいものだと思っている。
 何者にも毒されず、思想を持たない赤ん坊だ。
 ただ、残念なことに赤ん坊は文章を書けない。
 そして僕は赤ん坊にはなれない。
 そんなもんだ。

大人になるってどういうことなんだろうか?

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