人間性が試されている話

昨日、自分の人間性が試される出来事があった。
詳しく書いても仕方ないのだが、

例えるなら、
自分は子供で、父が、
「今度の休みには遊園地に連れてってやるからな」
と約束したものの、その休みの前日に、
「ごめん、明日の遊園地、行けなくなったんだ」
と言われたようなもの。

いや、違うな。自分が勝手に
「前の休みに動物園に連れてってくれたから、今度の休みには遊園地に連れてってくれる」
と思っていただけ。

いや、それも微妙に違うな。
「(遊園地ではなくとも)次の休みに父はどこかに連れてってくれるはずだ」と勝手に思いこんでいて、結局休みの日に、父はどこにも連れてってくれなかった。

こっちに近い。


例えが長くなったが、
で、試されてるのは、そうなった時に、(ここでいくと)父にどんな行動をとり、感情を持ってしまうかだ。

子供だったら、泣き、喚き、駄々をこねているかもしれない。
ただ、それは子供だから許される行動であって、自分は年齢でいうと大人だ。経験や知識が伴ってなくとも、大人だ。そんな大人が、泣き、喚き、駄々をこねるか?

それよりも危惧してるのは、今回の現実世界で起きた出来事、対象の人物に対して「憎し」の感情を抱いてしまうのか?ということ。

宗教やオカルトではないが、「憎し」の感情の元には「憎し」の結果しか寄ってこないし、「憎し」のフィルターを通して物事を見てるので、楽しさはスルーされ「憎し」の連鎖しか生まれないと思っている。

何より今回は、今までと事情が違った。それも知っていた、はずなのにである。
(前述の子供と父の例でいうなら、父が何らかの理由で休日出勤をしなければならなくなったと考えるべきか)

人間、生きてりゃ不条理なことっていくらでも起きる。自分が考えるように物事が進まないことだって、山のようにある。

そうなった時に、どんな気持ちでいられるか。
対象を見つけ「憎し」と思い続けるのか、
「(今回は今までと事情が違うので)仕方ない」と思えるか。

試されている。今、自分は、すごく試されている。
(ありがとう。おかげでブログのネタになりました。そしてこうして冷静に打ち込んでるうちに、少しずつ「別にいいや、何でそんなことで怒ってるんだろ」と思えてきた)

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