見出し画像

訴訟のIT化とニョロニョロ芸

日本人の世界を「世間」と「社会」に分け、現代では「世間は中途半端に壊れている」と述べたのは鴻上尚史氏である。
詳しくは氏の「コミュニケイションのレッスン」を読んでいただきたいが、詳しくわからなくとも、なんとなく雰囲気はつかめると思う。

私がふと鴻上氏の世間と社会論を思い出したのは、今年、法制審で「民事訴訟法(IT化関係)等の改正に関する中間試案」が発表され、裁判がIT化された後の仕事をイメージせざるを得なかったからである、

民事裁判は「主張と証拠を書面で出し合い、全く第三者の裁判官がジャッジする」という「社会」的なコミュニケイションの最たるものである。
そこでは空気を読む必要はない。読む必要があるのは書面と証拠だけだ。

しかし、裁判所で行われるコミュニケイションは、実はそれだけではない。
民事裁判には「和解」というものがある。法曹の「和解」は、字面から連想される和気藹々としたものではない。原告側・被告側の弁護士が、交互に裁判官と話し合い、落とし所を合意するものだ。
主張立証から勝訴可能性を見据えて落とし所を決める「社会」的コミュニケイションもあれば、腹芸・寝技なんでもありの超「世間」的なコミュニケイションもある。

和解でよくあるのは、口では建前を述べながら、表情で「ね?わかるでしょ?」とやる「顔と言葉が違う芸」である。
もう1本の王道は、声と間合いを変えながら、建前はドラマの弁護士口調で整然と喋り、本音はドラマの町内口調でニョロニョロと喋る「ニョロニョロ芸」である。

基本的には、会社案件を主戦場にしている弁護士は和解で「社会」的なコミュニケイションをとり、一般民事・家事を主戦場にする弁護士は「世間」的なコミュニケイションでニョロニョロ喋る。
勝ち筋事件に芸は要らない。ニョロニョロ芸は、負け筋とわかって断れず、情で受任した弁護士が、依頼者の負けを最小限にする時に最も鍛えられる、我々マチ弁の魂の芸だ。

コロナ禍で、平成8年施行の民事訴訟法を無理矢理こねまわしてweb会議が導入された。これにより全国の弁護士のニョロニョロ芸をみることができるようになった。
地域によって「落とし所」がちょっと違う。またニョロニョロの言い回しもちょっと違う。まるで昔の醤油の味のようだった。

裁判官は全国転勤なので、裁判官が芸を伝達しているのなら、もっと全国的に統一されたニョロニョロ具合になるはずである。
地域性が強くなったのは、地元の弁護士達が和解の席でニョロニョロ芸を用いる度に、地元に適した型に収斂されていき、その芸に裁判官が適応したからであろう。

民事訴訟法が改正され、家事事件手続法も改正されて、和解や調停もwebが当たり前になれば、ニョロニョロ芸の地域性は薄れ、全国的に統一されたものになっていくだろう。
それこそ醤油の味である。

センチメンタルな気分はあるが、我々マチ弁のニョロニョロ芸は、歌舞伎や能のようなアートではなく、依頼者に有利に事件を落とすためのスキルに過ぎない。
現実が変わるなら弁護士も変わらねばならぬ。web会議時代には、web的ニョロニョロ芸を身につけた弁護士がニョロニョロと生き延びていくのであろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?