見出し画像

自動車も、バスも、路面電車も、では社会効果は得られない〜取捨選択なきLRT政策の問題点〜

宇都宮で計画されているLRT計画。そもそもはHONDAなど含めた工業エリアに向かう道路の混雑回避などの社会効果を目的としたものとして議論されてきていましたが、費用が増大して費用対効果が低下して議論になっています。個人的にはLRT通した分を拡幅したりしている道路設計に疑問があったり、駅につなぐのはよいとしても、駅前や中心部エリアのマイカー規制などには踏み込んでいないところとかになんとなくLRTありきすぎる感じが常にしていたところです。あらゆる交通手段にLRTを追加するだけでよいのか、といえばそんなことまちづくりとしてはないのです。

欧州に行くと路面電車が走る町の中心部が元気だ、という議論がなされたりするところです。しかし、その前提条件として「公共交通でしかまちなかには直接いけない」という基本方針を設定して、単なる今までの道路整備にプラスしてLRT整備が有効なのでなく、都市計画としてマイカーと道路の関係をある意味では否定的にとらえて、という自動車に対する考え方を改めなくてはならないところがあります。

が、どうにも日本は決められない議論が多くて、なにかを不便にすることに抵抗が出てくるので八方美人となって結局どれもだめ、になりがちなところがあるなと思っています。もちろんすべてができるならばよいのだけど、当然ながらそれは相応の無駄を引き受けることになるだけでなく、共倒れになってしまうことすらあります。

選択をするべきこともあり、選択するからこそ公共交通がより一層充実できるという側面もあるわけです。特に人口減少の時代において、渋滞なども正直なところ「時間が解決する」ところも多々あり、だからこそ社会デザインをしっかりしてからやらないと、なんでもかんでもあれこれ手を付けてとんでもない未来を招く事になりかねません。

○ 自動車の社会的費用

度々紹介していますが、自動車が万能のように語られて、自動車という製品に不可欠である「道路」が様々な形で公共インフラと設定され、整備されていくことになったわけです。が、それが招く社会的費用について1974年、実に今からほぼ半世紀前に書かれたのが素晴らしい一冊。

実際に自動車社会前提に構築してきた都市は、結局のところ移動制約がなくなったプラスだけでなく、だからこそとんでもないところまでを都市化することになり、都市の維持コストはうなぎのぼり、都市から生み出される付加価値とバランスすらしなくなり始めています。

○ 都市間交通として自動車はあったとしても、中心部には進入禁止

ここから先は

2,585字 / 1画像
この記事のみ ¥ 500

サポートいただければ、さらに地域での取り組みを加速させ、各地の情報をアップできるようになります! よろしくお願いいたします。