高校時代、ユニ・チャーム高原慶一朗さんに感動した話。

今日縁あって事業継承に関するコラムを書いていました。私も仕事柄縁もゆかりもない地域の方々と三世代に渡ってお付き合いすることも珍しくない人生です。先代がなくなり、現役世代が事業継承し、そして次なる世代が地元に戻ってくる。この次なる世代と私は今同じくらいの年代です。これからは自分が先代たちの年齢に近づいていくわけですが、あとこのコラムで書こうと思って方がいたのでnoteにも少し出しておきたいなと思います。

というのも、私の不覚の至りで、昨年亡くなられていたことを今日知りました。その方はユニ・チャーム創業者の高原慶一朗さんです。

そんな高原慶一朗さんと2000年頃に経団連の会議でお会いしたのが最初でした。私は一番最初の会社を創業したてでしたが、知人からの紹介でいわゆる若い世代が事業に取り組む話についての議論の場に呼ばれていったわけです。この時にも大変丁寧な方で、さらに別に話を聞きたいと何人かで後日改めてお会いしたのを覚えています。

お会いしたのは本当に夏の暑い日差しの降り注ぐ日でした。渋谷の知人のオフィスでお会いしました。

印象はこんなに低姿勢な戦後大企業創業者っているんだなというところです。残念ながら私は世代的に戦後ベンチャー的な存在の企業の創業者の方々とお会いする機会はあまりなかったので、逆に驚いた印象があります。

そして若い世代が何を考え動いているのか、とても関心を持たれていて自分のお話は一切されませんでした。我々が質問されて、それに答えていくみたいな感じが続いて、むしろ私が戦後創業してあれだけの大企業に育てた時のお話も聞きたいといったら、にこにことしながら語られていたのを覚えています。当時はまだまだ戦後で皆が躍起になって経団連とかも若い世代が多くて、皆で売上10億円倶楽部、50億円倶楽部、100億、500億、みたいな感じで互いに切磋琢磨しながら成長していたんだよ、なんて話をされていたのが非常に印象的でした。なんかそういうの聞くと、戦後日本経済もミクロをみればやはり誰かが作ってきたんだなと感動したものです。

同時に、高原さんとして意識されてきたことをお聞きしたんですね。そうしたら「早い時代からアジア各国に財団を作り、女性の社会進出を微力ながらにできる限りのサポートをするようにしてきました。女性の社会進出が進めばその国の経済力も成長し、豊かになる。さらにうちの商品も売れる。社会にとっても自社にとってもプラスになることを考えてきています」といったような話を目を輝かしながら語られていて、今の社会でこそSDGsやら社会起業家なる言葉が出ますが、戦後創業世代の力強さと社会感覚の豊かさをまじまじと感じ、私はさらに感動したのを覚えています。

その低姿勢で笑顔あふれる戦後創業者の高原さんはもう亡くなられて残念ながら改めてお話をお聞きする機会を得ることは不可能ですが、あの日の貴重な経験をふとコラムを書きながら思い出したのです。

事業継承後、ユニ・チャームは過去最高の売上、利益を更新しています。息子さんにあたる高原豪久の手腕は当然でありますが、先代が長きにわたり会社経営だけでなく尽力されたこれらの女性社会進出推進に向けた財団活動などの功績もあり、今やアジア各国でユニ・チャームの商品は特別に扱われ、今大きく花開いているとも言えるでしょう。

カバー写真は高原さんとお会いした夏を思い出し、本コラムにそっと添えさせていただきます。

少しここから裏話になりますが、実はこの時経団連の会議では別の創業世代ではない大企業経営者が委員長で、高原さんは副委員長をされていたのです。ちょっとその委員長の話が私にとってはとても問題があるように感じただけに、高原さんの素晴らしさがさらに引き立ったのもあったかもしれません。

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