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墓は誰のためにある?

親の高齢化に伴って、将来的な墓守問題も頭をかすめる今日このごろ。

今住んでいる亡夫の実家の墓は、子供が継いでくれるだろう。子供には、将来的に継承していくのが難しいのなら、永代供養をお願いして墓じまいするように伝えてある。

問題は実家の墓だ。

女の姉妹だけの実家では、私を含め他の姉妹もよそに嫁いで出ている。実家の名前を継ぐ跡継ぎはいない。

実家は父の実家の名字だが、父も上に何人も兄がいて跡継ぎではなく、社会人になったら実家を出て、自分で家を築かなければいけない人だった。

だから、実家の墓は、父が亡くなったときに母が購入したものだ。父は終活を始める前に比較的早く突然亡くなってしまった。そのときに、檀家になっているお寺の墓地に空きがあったので、母が慌てて購入して、墓石を建立した。

でも、実家には継ぐ人がいない。母が亡くなったらどうすればいいのだろうかと、ちょっと考え始めている。

まだ母は存命だから話し合いもしていないが、いずれは他の姉妹と相談して、適当なところで区切りをつけて永代供養をお願いして墓じまいするか、何人かいる姉妹の子どもの誰かに託すのか?

子どもたちにとっては祖父母の墓になるわけで、今も可愛がってもらっているので、墓守をお願いしても嫌がることはないだろう。

でも、子どもたちに負担を掛けるような気がしなくもない。子どもたちが喜んで墓守を引き受けてくれればいいが、それぞれがこれから作り上げていく人生の重荷になるようなら、そこまでして墓を守っていく意味ってあるのだろうか?

そもそも、墓って誰のためにあるのだろうか?何の意味があるのだろうか?

先祖代々、何十代も続いているような名家の墓なら、継承していく意味もありそうだが、現代の核家族化の社会にあって、わざわざ墓をそれぞれの家で買う意味ってあるのだろうか?

例えば、直接関わりがあった祖父母や親、若くして亡くなった兄弟や従兄弟、友人なんかの墓は参拝してその人を偲びたくなるのは当然だ。

でも、正直なところ、墓参りに行っても、せいぜい心情的に偲びたくなるのは、祖父母か曽祖父母くらいまでだろう。曽祖父母くらいなら、生きているうちに会ったことはなくても、親戚の集まりなんかで思い出話を聞くこともある。

直接交わった人から話を聞いた人はどこか親しみを持って参拝できる気もする。しかし、それ以上前のご先祖様には、特に懐かしい親しみも覚えない。

墓は生きている人が、亡き人を偲ぶためにあるものだ。

歴史的な偉人の墓であれば、後世にその功績を伝えるために残していく価値はあるかもしれないが、その他大勢として亡くなっていく大多数の人の墓は、偲ぶ人がいなくなったらどうしたらいいのだうか?

それで、そこに埋葬されている人を偲ぶ人がいなくなったら、その次の時代を考えて、墓じまいなり、何かを考えなければいけないのだろう。

ちょっとそんなことを考えている。

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