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レオポルド美術館 エゴン・シーレ展(東京都美術館)

荒木飛呂彦がジョジョ立ちを考案する際に影響を受けたというエゴン・シーレ(しらんけど)。長年各地の展覧会でちょっとずつ見掛けてきたがまとまった回顧展は初めてかな。とはいえシーレ展と名打つ割にはシーレ以外も多かったけど。(とっくに会期は終わっているスマン)

会場は東京都美術館。館内各章の壁にキャプションとしてシーレの名言が張られている。初っ端にいきなりかましてくれる。

モダンアートなんてないんだよ(オレ様の芸術が残るだけ)

エゴン・シーレ

正確な文言は忘れてしまったがこんなことを言ってたはず違う? 公式HPにでてるかなと思ったが見つからなかった。

そんな若者はクリムト師匠の指導の元すくすくと育っていく。

《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》1908年
多くの人同様、紫がエヴァンゲリオン初号機にしか見えなくなった。でも私としてはその隣の菊のほうが面白いと思った。花がデロデロに溶けて流れていくようでこれぞシーレ節だ。

《叙情詩人(自画像)》1911年
狂ったように量産したアジる自画像の中の一作。これは皮を剥がれた顔みたい。片膝を立てて座っているのだろうけどなんか変。赤剥けちんこの向きもどこか変。

ちんこの向き…ってどこかで書いたなと探したらこれだった。

偉大なるピカソもそんなミスしていたのだミスじゃない。

そもそもこういう縮こまったポーズどこかで見たなと思ったら

完全に一致?

*今回は徹底的にジョジョで攻めますよ

《自分を見つめる人II(死と男)》1911年
後ろにスタンドがいる! スタンドは生命エネルギー! この絵に生と死を見るのが一般的だろうが、むしろ生きるx生きるだと私には見える。誰のだかわからない腕はただ平穏に生きていきたい吉良吉影が生きるために敵の腕を切断したかのような。

《ほおずきの実のある自画像》1912年
なんだずいぶんちっちゃいんだ。シーレ展の宣伝の引き伸ばされた展覧会ポスターで見てたからあれ?と思った。双眼鏡でつぶさに見ると特に髪の毛の表現に気を使っていたみたい。赤毛やらチラチラ混じっている。

駆け足だがざっと見てきて、シーレは若くして亡くなってしまったせいでまだまだ発展途上の人だったんじゃという印象が強い。

デッサン力はかなりある人なんだけど、崩したにしても、たとえばピカソはどんだけ崩しても揺るぎないデッサン力を感じるし、その域にまでは達していない気がした。それはそうだ、三十代前の画家なんて自分の画風がまだ定まっていない人の方が多かろう。

それでもあんなにかっこいい人物のポーズをよく考えられたものだ。だから生き延びていたらどんな発展を遂げたのか、考えてもまったく無駄無駄無駄無駄無駄無駄なのに、これだけの才能を持った人の最終形態を妄想せざるを得ない。

一部撮影可能なコーナーがある。その一枚。

《モルダウ河畔のクルマウ(小さな街IV)》1914年

色使いがクレーっぽい気もするのだが。風景画なんか特に。

って、ぜんぜん違うわww

でもシーレの進化系はこんな方向になってたんじゃないかという気もする(いや、バカの妄想というだけでなんの根拠もないですよ)

ちょっと調べてみると

パウル・クレー 1879年生まれ

エゴン・シーレ 1890年生まれ

ほぼ同時代、クレーの方が先なんだ。もっといえばピカソが1881年生まれ。なんとなくシーレの方が上だと思ってた。

今は結果として人物画のイメージが強いシーレも、病に侵されずにもっと長生きしていたら、ピカソらが始めたキュビズムなど百花繚乱の20世紀モダンアートの波に多かれ少なかれ巻き込まれていたはずだ。途中で抽象絵画、それも深層心理をえぐるような方向にも行ってたんじゃないか。

冒頭のオレ様発言やパネルの言葉から(正直、何を言ってるのか?もうひとつよくわかんないんだけど)革新的なことをしようと常に考えていた節はある。

病や死と絡めて語られることの多いシーレだが、モディリアーニほど破天荒な生き方でもなかったし、ロートレックの様に生まれつき体が悪かったわけでもない。三十代を待たずに亡くなることなんか彼の人生設計になかったことだろう。今あるイメージも売らんがための作られた虚像なんだよな。


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