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見た目でわからない不自由さを抱えている人への理解を求めたい



 私は見た目には不自由な身体の人間とはわからない。(←他者からの評価であり、自分でもそうだろうなと思う)

 不自由さの主張をしたいわけではないし、助けて!と訴えたいわけでもないのだけれど、それでも「当たり前に出来ないことがあることへの理解」を求めたい場面というのがある。

 例えば、階段。
 左手で手すりを持てないから右手で持ちたい私は必然的に右側を上り降りすることになる。
 でも、世の中左側通行なので、当然白い目で見られる。

 例えば、バス。
 立ち続けるのは正直しんどくて、足は徐々に震えが出てくる。だから座りたい。
 でも、優先席に座っていれば「え?」という周囲の空気は私にまとわりつき、席を譲らなければわざと咳をされたりもする。

 見た目でわからないということは、人は健常者なら当たり前に出来ることが当然出来るだろうと判断し、そしてそれが出来ないことで冷酷で残酷な目を向けられる。
 言葉を発さなくても「空気」はきちんと伝わる。

 さっきの例で言うと、「なぜ右側にいるのだ。こっちは急いでいるのに、邪魔だ」という空気や、「なぜ席を譲らないのか」という空気。


 身体のことだけでもハンデを強いられて生きていて、見た目にわからないことで更に辛い思いをする。


 「では、ヘルプマークを持てばいいではないか」というそんな単純な問題ではないのだ。

 ヘルプマークを持ち、不自由さを主張したいわけではなく、助けて欲しいと訴えたいわけでもない。
 そして申し訳ないけどヘルプマークを自分のお気に入りのバッグにつけたいとも思えないのだ。
 「そんな身体なんだから我慢してつけなさい」で済ませていい話ではない。
 健常者ではないから、そんな身体だから、嫌でも何でもそれをつけたらいい、など、それを言う人たちは自分自身がそんな身体になった後の人生でどんな思いをすることになるのか想像してみてほしい。


 「当たり前に出来ないことがある」ことへの理解が欲しい。
 それは、きっと私のような脳梗塞で半身不自由になった人間に限らないだろう。
 発達障害の人や、今であればコロナの後遺症に悩む人、見た目にわからない心身の不自由さを抱えた人たちは他にもたくさんいるだろう。

 私は私が身に付けてもいいかなと思えるヘルプマーク的なもの(←ヘルプマークではない!)を作ってみた。

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↑ブレスレットとバッグチャーム

 まだ案の段階だけど、これを個人的に身に付けても周知されないと意味がないので、どうにかして広げていきたいと考えている。

 こういうものは、広がって周りの理解があって初めて役に立つものだから、広がるようにしたい。


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