エラーの後こそ声を出す

 私は中学・高校と野球部だった。野球は守備についている時、「さぁこーい」などと声出しするのが普通である。私もそうだった。そんな中、詳しくは覚えていないが、何かで読んだ中に印象深い教えがあった。

 守備についているときは心の底からさぁ来いと思わなければならない。口でだけさぁ来いと言って内心では本当に来たらどうしよう...とか思っているのは最悪である。それなら全力で来るなと叫ぶ方がマシだ。半端なのだけはダメで、強い気持ちを持っていなければならない。

 おおむねこんな感じだったと思う。これはなるほど良い教えだと思い、私は口ではさぁこーいと言い続けたが内心ではこっちに打ってくんじゃねえよ!と全力で念じるようになった。正確には、取れなくても怒られない、取れたらファインプレーみたいな難しい打球来い!簡単な打球は来るな!と心底祈っていた。こいつはとにかく自分がどう思われるかしか考えていないようだ。まぁここまで割り切る方が中途半端よりは良いという教えなんだと解釈している。

 ただ、例外もあった。それはエラーした直後だ。私は別に大して上手くはなかったのでよくエラーした。が、私はキャプテンでもあったので、そこで消沈して声が出なくなるようでは最悪である。私はエラーした後こそ声を出すと決めていた。お前のエラーのせいやぞと仲間に思われに行くくらいの気持ちでいた。したがって、エラーした後は、心の底からさぁ来いと思って声出しをしていた。もう一度守備機会をくれ、そこで禊を済ませたいんだ、と強く祈った。そうでもしないと、エラーしたのにその前より元気になるというような立ち回りはできなかったのである。

 指す将ドラフトチームバトルでのチームポラリス戦、私は決着局を任された。私はその試合でそこまで0勝2敗、しかも一局前は王手放置で負けるという最悪の展開だ。普通に考えれば意気消沈する場面であるし、実際していた。だが、こういう場面は知っていた。エラーしまくっていたあの日とまるで同じではないか。どうしようもない負け方をした後こそ、強く念じなければならないのだ。さぁ来いと。

 結局私は最終局に勝ち、チームを勝たせることができた。おそらくそれは、あの頃の経験がなければ無理だったと思う。野球が将棋に活きていると感じたのは初めてのことだった。将棋はメンタルのゲームだ。次に活かせる場面が来るのかは怪しいが、思わぬ強みが見つかって良かったなと思われた。

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