今週の小話#5

木ベラと計量スプーン

 私は一人暮らしを始める際、台所用品を一通り買い揃えたのだが、それほど沢山色々と買ったわけではなかった。男の一人暮らしだし、まぁ大して要らんだろうとも思っていた。が、生活に慣れ、変化していくにつれて、結局色々買い足していくこととなった。その中でも特に役だったのが、木ベラと軽量スプーンである。

 僕はかつて菜箸をケチって普通の箸で炒め物を作っていたのだが、やはり効率やストレスが段違いなので菜箸は買った方が良い。だが菜箸より木ベラの方が優ると思う。こいつは炒め物を作る際には菜箸と同じ役割を果たせる他、マッシャーとしての役割を果たすこともできる。ポテトやトマトなどを潰したい時にも使えるので2WAYだ(大仰)。菜箸に劣る点は味見するために普通の箸を使わないといけないところである。

 軽量スプーンを買ったのは実は最近のことである。これを買うまでは調味料の類は全て感覚で入れていた。これがあるだけでレシピ通りに作ることができる。なんて素晴らしい!...なんてことはない。食えれば良い、くらいにしか考えていない僕のような人間にとってレシピ通りに作れるかなんてどうでも良いことだ。この道具の真価は塩分を抑えられるという点に尽きる。塩や醤油などの量を可視化することで、入れすぎをかなり抑制できるようになる。適当に入れてたら辛くなりがちな方にとてもお勧め。

地獄の始まり?

 私は四季で冬が一番好きである。だが、冬とて完璧な季節というわけではない。寒いのも辛いがまぁそれは良いとして、日が短いのがキツい。4時とか5時とかに真っ暗になれられるとキレたくなる。日照時間さえ長ければ冬はもっとよくなるのに、とかいう意味不明というか原理上不可能なことを考えてしまう。そういう意味で、私は冬至が特に好きである。一年で最も日が短いこの日は単体で見れば最悪の日なのだが、ここから先は日が長くなる一方なのだ。希望に満ち溢れた日である。キリストが生まれたことにもしたくなるというものだ。しかも冬至の後も2ヶ月強にわたって冬は続くのである。この辺が一番好き。
 というわけで春になってあったかくなってくると冬も終わりかぁと少し残念な気分になるのだが、しかし気分が落ち込むというほどでもない。4月5月になると日に日に日照時間が長くなっていくのが感じられ、それはそれで希望が湧いてくる。冬ほどではないが良い季節である。しかし日照時間が最長に達したその日、ついに絶望が始まる。夏至である。
 ああ、夏至!一年で最も日が長い日!これ以降は日が短くなっていく一方な、地獄の始まりである。しかも夏本番はまだまだ先、気温はますます高くなっていくだろう。特段暑がりというわけではないのだが、夏はやっぱりキツい。よくこんな炎天下で野球なんかやってたものだと過去の自分に感心する。暑いわ日が短くなっていくわでお先真っ暗だ。
 さて、私は散歩が趣味である。夏は出歩くだけで死にそうになるので辛い。本当にどうしようもない。必然的に、夕方日が落ちてから散歩に出ることになる。......日が短くなっていくの、悪くないじゃん。今年も夏が始まる。

やさしくなりたい

 以前僕のことを優しい人だ、と言ってくれた人がいる。嬉しい限りだ。僕は優しい人間だと、そう評価されることは多い。一方で、配慮に欠けるとされたり、人を傷つけがちだとみなされる場合も多い。かつて僕は自分を評して「善人になりたい凡人」という表現を好んで用いた。最近はめっきり想起されることも無くなったが、自己評価が変わったわけでは無い。今でも、僕は自分のことをそう思っている。

 僕は思ったことは言う、正直な言動を心がける、ということを美徳として信じている。多少はキャラ付け的な意味もあるけど。その過程で、自らの利己的で打算的な部分をひけらかしたり、露悪的に振る舞うことも多い。が、僕はクズだとか悪人だとか言ったところで結局根が善人なのでボロが出てしまう。そういう意味では悪人にもなりきれない凡人というべきか。

 本当は、僕は自分のことを優しい人間だと思っている。もう既に、十分に。けどそれは、僕に心の余裕があるという条件と、僕の想像力と表現力が及ぶ範囲内でという制限のもとにある。優しい人間だと言いながら、どれだけ人を傷つけてしまったのか。僕のコントロールしきれない自己の領域は、まるで上記の認識すべてが嘘であるかのように残酷である。なんだか厨二っぽくなっちったてへぺろ。

 僕は優しくなりたい。優しくあれる心の余裕を維持し、想像力と表現力の限界をどこまでも押し広げていきたい。おそらくそれ究極的には不可能な願いであろう。無責任だと自分を責める僕もいるが一旦は無視する。結局、善人なりたい凡人から抜け出すことはできなさそうだ。やさしくありたい。

メモ帳を買う

 先日メモ帳を買った。思いついたアイデアなどを書き残したり、備忘録にしたりするためのものだ。A6判のポケットサイズで、ブン屋が携帯してるイメージのあるアレである。こういうメモ帳を買ったのは初めてだった。これまではスマホのメモ帳機能を使っていたが、紙の帳面を使う方がいいような気がしたのである。スマホのメモ帳は用が済んだら消してしまって残らないし、各ページの一行目しか見えないので一目では何がどこにあるのか分からない。紙なら記録が残るし、一目で見渡すことができる。
 使い始めて一週間ほど経つが、これは中々使用感が良い。別にやっていることはスマホにメモっているときと何も変わらないのだが、やってる感が増している。どうでもいいメモでも残っているとなにかを達成した気分だ。ついでに言うと自分がいかに漢字を書けないのかを思い知らされた。
 高校生のころ、何でもノートを持っていた。授業でノートを忘れた時用ノートというのが元の目的であったが、やがて授業中に落書きするためのノートになった。落書きといっても絵を書いていたわけではなく、その時思いついたアイデアや考えていたこと、持っていた疑問などを書き残していたのである。大学に入って以降は、そのようなノートを持つことはなくなった。そもそもノート自体を持たなくなった。スマホを買ったので、メモ帳機能がその役割を担うようになっていった。しかし、メモ帳は消してしまうし、後から編集してもその後が残らない。自分の足取りが辿れないのである。それに対して高校時代の何でもノートは、たまに実家に帰って見返すたびに新たな発見があった。
 買ってしばらくしてから、今のメモ帳の使い方があの頃の何でもノートに近いことに気づいた。初めてメモ帳を買ったと思っていたのだが、本当は三冊目の何でもノートを買っていたのかもしれない。それはnoteにも通じるだろう。書き残すことの重要性を感じるこの頃である。

プレミアムな記事をあなたに

 プレミアムという言葉は、今日ではもっぱら「高級な・良質な」という意味で使われているようだ。だがこの言葉は本来「追加分の・割り増しされた」という意味だ。価値の上がった商品が定価よりも高値で取引されるようになるとき、その“割増し”された分の値段が“プレミア”なのである。これがプレミアがつくという言葉の本来の意味なのだ。

 「今週の小話」は基本的には独立したいくつかの話を並べているのであるが、この章だけはちょっと毛色が違いそうだ。この章だけはかなり前に書かれたものだったのだが、なかなか発表することができなかった。まさにプレミアムな記事なのである。


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