今週の小話 #3

モヒカン族とは何ぞ

 先日Twitterのタイムラインを眺めていると、モヒカン族という言葉が目に止まった。知らない言葉だが、おそらくネットスラングで、少なくともいい意味ではなさそうだ。調べてみると、Wikipediaに詳しい記事があった。

(モヒカン族は)ミスを指摘すること、ミスを指摘されることは悪意的なことや失礼なことではなく、間違った情報を訂正する大切な行為であると考える

 どうやら端的に正確な情報をやりとりすることを重んじる気風のことを指すようだ。当該ページには他にも色々な特徴が列挙してある。

 ...私やないかい。その特徴は完全に私のことやないかぁ。すぐわかったよー。

 いやそれが分からんねんな。モヒカン族っていうのは、相手の感情を害するかもしれないという配慮をしないらしいのよ。

 ほな私と違うかぁ。確かに島ノ葉は他者の感情に配慮することを足枷とか苦行と捉えがちな人間ではあるけどね、それをしなくて良いとは思っていないのよ。単に下手くそなだけやねん。

 モヒカン族。気持ち的には共感したい部分が多い概念だが、この言葉が使われる生の現場には居合わせたことがないので、細かいニュアンスはよく分からない。面白い言葉があるものだなぁと思った。

スネ夫に関する覚書

 ドラえもんという漫画において骨川スネ夫というキャラクターの持つ意味は極めて重要である。たぶん主要5人の中では一番人気がないと思うのだが、彼に対する正確な理解が広がれば話は変わるかもしれない。簡単に一言でいうと、スネ夫はジャイアンの忠臣で腰巾着なわけではないということである。

 原作中では、ジャイアンにのび太を探すよう命じられたスネ夫がのび太を見つけるも、自分も普段いじめられている身だからと見逃すシーンがある。これ何の話だったか思い出せないんだよなぁ今度実家帰った時に探します。スネ夫は本質的にはのび太同様いじめられる側の存在であり、ジャイアンの暴威から逃れようと日々を過ごしているのである。実際、スネ夫はジャイアンにおもちゃや漫画をぶんどられまくっており、ドラえもんに泣きつくことも少なくない。

 スネ夫がジャイアンの側近的なポジションにいるのは、ジャイアンの暴力を回避するためにうまく取り入ろうとしているからなのである。つまりスネ夫がジャイアンと一緒になってのび太をいじめるのには、単純にいじめたいという側面のみならず、ジャイアン側に着くことで自らがターゲットになるリスクを回避するという側面があるのである。いじめる側といじめられる側を両方とも担うこの二面性がスネ夫の本質であり魅力なのだ。

 このように考えると、スネ夫というキャラクターがすごく身近になってくるのではないだろうか。のび太にはドラえもんがいる。スネ夫は金銭的余裕と立ち回りのうまさを持っているがドラえもんは持っていない。このような状況下でいかにジャイアンの脅威に対応するかという話なのである。そしてそれは、我々自身にも当てはまらないだろうか?私にはドラえもんはいないのである。あれほど裕福でも世渡り上手でもないにしても、彼のように生きることはものすごく現実的で等身大な感覚ではないだろうか。

況やプロをや

 私はTwitterなどで、「私のような底辺アマでさえ〜なので、プロはもっと〜なんだろうなぁ」という構文を使うことがしばしばあった。指す将順位戦のようなアマチュアの集まりでさえあんなに勝ち負けに押し潰されて発狂しそうになるんだから、プロ棋士の重圧はとんでもないんだろうなぁ。みたいな感じである。

 これはこれで良いのだが、この表現には不満もある。本当にプロ棋士について感嘆している時に使うならまだしも、実際には上の句の方に力点がある場合もあるからだ。つまり、プロ棋士を引き合いに出しながら自分の経験について語りたいときである。とは言え自分の経験をプロと比べながらストレートに語るなんて不遜すぎて無理だ。したがって結果的に私のような底辺アマでさえ構文を使わざるを得ない場面もあると思う。

 先日思いついたのは、自分語りをしたい時は言いたいことを全部言ってしまって最後に取ってつけたように「況やプロをや」と言えば良いのではないかということである。ちゃんと謙虚さを演出しつつとってつけた感を出して力点を上の句に持ってくることができるかもしれない。今後この手筋を使うかは分からないが、もし使ってたらそっと良いねして下さい。

立ち上がった自転車

 風の強い日のことだった。夕方散歩に行こうと家を出て駐輪場の前を通ると、自転車が倒されていた。一台や二台ではない。フルコンボだドンとでもいうべき趣で、流石の強風っぷりである。私のチャリも当然一緒に薙ぎ倒されていた。ただ問題はその向きである。私の自転車はスタンドが車体の左側に付く作りなのだが、それが下になるように倒れていたのである。こういう時は大概スタンドが歪んでしまっているものだ。憂鬱な気持ちで確認しにいく。

 見てみると、私の自転車はスタンドが上がった状態だった。倒れた衝撃で戻ったのだろうか。これなら無事かもしれない、そんな淡い期待はすぐに打ち砕かれた。スタンドが下げられなくなってしまっていたのである。おそらく倒された時にどこかが馬鹿になってしまったのだろう。私の自転車は自立できない状態になってしまった。どうせ今日一日は強風だ。お店に持っていくのは明日にして、寝かせといてあげよう。

 翌日、駐輪場に行くと私の自転車は立派に立っていた。本当に自分の自転車か?恐る恐る鍵を刺すと、当たり前のように解錠された。紛れもなく私のチャリだ。壊れたと思っていたスタンドはしっかりと本体を支えている。何度か上げ下げしたが、特に問題なさそうだ。もともと壊れていなかったのか、それとも誰かが直してくれたのか。不思議なこともあるものだなぁと思いながら、しばしサドルをさすった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?