私は、ここにいる。―第七期指す将順位戦を振り返って

 降級を回避できたら、来期は休んでしまいたい。

 第七期指す将順位戦が開幕する前、すなわち今年の五月末ごろ、私はそう思っていた。それは―この時点では―願望というよりは予感に近かった。私は戦うモチベーションを失いつつあったからだ。

 降級を回避できたら、という但し書きに希望に類する感情は含まれていなかった。それは私のけち臭さが付け加えさせたものであった。せっかく順位が良いのにそれをみすみす放棄するなんてもったいないし、なによりB級3組というクラスはそんな舐めプがまかり通る場所ではないと私は知っているからである。多少なりとも私を好意的に思ってくれているであろう読者諸賢に置かれましては、このような発言を真に受けて、降級しても戦い続ける意思があるなんて偉いなどと甘やかした感想を持ってしまうことがないように願いたい。本音を言えば、降級したから不参加なんだと思われるのが癪だっただけであるし、そもそも降級しても本当に指し続ける保証なんてどこにもなかった。

 私が追い込まれつつあったのは理由のないことではなかった。年末に大切な番組を失い、年始に大好きな番組を失った私は、その時点ですでに大きすぎる爆弾を抱え込んでいた。私がそれに関心を払わずにいられたのは、ひとえに指す将ドラフトチームバトルのおかげであり、せいである。チームとしても個人としても調子が良かったし、運営の一員としてそれなりに忙しく動いていた。この好調と多忙は、陥りつつあった苦境から私の目をそらすのに大いに役立った。それが私にとって幸運であったのか不運であったのかは、今でも判断しかねる。何事も両面性があるというべきであろう。

 年度が替わってしばらくするとドラフトチームバトルの余韻はすっかり冷めやり、私の心はにわかにざわめき始めた。私はある事態に恐れを感じていた。正確には、それから目をそらすことを意識的に選択し続けていたのだ。しかしそれらは、すぐに否が応にも私の眼前に突き付けられることとなった。指す将順位戦の組み合わせ発表である。

 そこには、無かった。有るべきものが無かったのだ。

 恐らくそうなのだろうと、私は薄々感づいていた。しかし、いざ突き付けられるとこのどうしようもない虚無感にどう立ち向かえばいいだろう?そこには有ってほしい名前がいくつもいくつも欠けていた。ここではその個人名を出すことは避けるが、あなたが想像する人々で合っているだろう。私は誰と指すために指す将順位戦に参加しているのだ。かつての仲間はどこへ行ってしまったのだ。私は何のためにここにいる。この時点で既にいわゆる”某会”は機能不全に陥って久しかった。島研なんて遥か遠くの昔話だ。私には、ここには、何が残っているだろう。

 仲間がいるよ、とは某人気漫画のセリフであるが、それは私の状況にも当てはまっていた。某会はそれでもほぼ毎週開催され、のののさんとの貴重な交流の場になっていた。ドラフトチームバトルでつながったチームメンバーとの交流も続いていた。やきそばさんと定期的な研究会(そこにはのちに動点さんという重要なアクターが加わった)を始めたのもこのころである。特に最後のものは、私にとって希望そのものだった。それは再出発のための第一歩だったのである。私は私が多くのものを失ったということを認めないために奮闘していた。少なくとも、そのつもりだった。

 だからこそ、一回戦の対戦相手は考えうる限り最悪の相手だったのである。彼だけには当たりたくなかった。当たってはいけなかった。私がなけなしの勇気と気合でしがみついていた小枝の折れる音がした。白状すると、私は一回戦の前、将棋のことなんてほとんど考えていなかった。私は島研のことを考えていた。打ち上げのことを考えていた。某会のことを考えていた。逃げラジのことを考えていた。私が過去に親しくし、そして私の前から行ってしまった人々のことを考えていた。彼が新しい依存先かい、と誰かが耳元でささやいた。違うとは言えなかった。それは、喪失の予感を受け入れたことを意味していた。

 私の黒星発進はある意味で定められた運命だった。あるいは、そのような定めに抗いうるほど私は強くなかった。弱かったのである。あっというまに開幕四連敗したその結果について、見苦しく言い訳するつもりはない。単純に私の将棋が弱かっただけである。精神的な不安定は確かに棋力を低下させるだろうが、それは実力が拮抗した相手と指す上で有意な星取りの偏りを生むほどのものではあるまい。むしろ問題はその逆である。いかに私が虚無感と喪失感を抱えながら指していたとしても、勝てるなら大した問題にはならなかっただろう。将棋指しにとって、将棋の悩みは盤上の結果が解決するものである。だからここで私が弱かったのは、屈辱というよりは悲劇だった。私の精神上の苦しみは私の対局結果により強化され、しかもそのループから抜け出す見通しは全く立たなかった。悪循環は完成した。

 降級を回避できたら、来期は休んでしまいたい。この言葉はすでに私にとって願望ではなく決意表明になっていた。私は戦う理由を見失っていた。もうここには誰もいないのだ。何のために私は駒を持つ?もう戦いたくないと思っていた。だから、私は何としても残留しようと誓った。降級したら来期も出場する羽目になってしまうので、何としてでも残留しようと思ったのだ。これは私がもうすでに、戦う理由を外注しないと、第七期指す将順位戦の外部に求めないと戦えない状態になっていたことを意味していた。残りの七局をどう乗り切るかだけが問題だった。

 そんな状態で迎えた五回戦の対局前、私は風呂に入っていた。相手はここまで私と同じ四連敗中のわわわさんだった。おそらく、ここで負ければ降級だろう。開幕五連敗して残留できる道理などない。なんとしても勝たなければならない。残留するために。そして、来期こそ参加しないために。私は勝たなければならない。ここらでひとつ空想に耽ることにしよう。残留を決めて、来期の不参加を宣言するツイートをする自分。どれどれ、文面でも考えようか。開幕四連敗してもうだめかと思ったが、何とか残留できた。降級は回避したので、来期はお休みします。こんな感じか。

 このとき、私はふと思い出した。去年、第6期が始まる前に、私が指したいと願っているのにもう既に指す順には居なかった方々にラブレターを出したことを。参加を渋っている方々にラブレターを出したことを。どうしても指したいが、もう既ににそこには居なかった人々、私が失った人々を。思い上がりかもしれないが、もしかすると私に対しても同様の感情を持ってくれている人々がいるかもしれない。指す順の舞台で私と指したいという人が。私に指す順に参加してほしいという方がいればDMを頂ければ検討します、とでも付け加えておこうか…。

 ここまで考えて私は気づいた。もし私がこのまま指す順を去ってしまったら、かつての仲間が指す順に戻りたいと思ったときに戻りにくいのではないか?私がここで戦い続けているという事実こそが、彼ら彼女らがここに戻ってくるための重要な条件なのではないか?私は、私はここにいると示し続けなければならないのではないか?

 そのことに気づいた途端、断頭台にしか見えなかった景色は一変した。なんのことはない、仲間たちのいないこの世界で将棋を指し続ける意味は、最初からずっと私のそばにあったのだ。私はここで将棋を指し続けなければならない。あの楽しかった日々がもう戻ってこないとしても、それが未だに有るかのように振舞わなければならない。これこそがそれを取り戻すために必要なのだ。戦う意味はこの手の中にある。たとえ一人になってでも、私は戦い続けよう。そう決意した。私は戦い続けなければならない。

 ここに思い至って、ようやく新たな光が見える。一人になってでも戦い続けると決意して初めて、自分が一人ではないことに気づくのである。

 ともに研究会を開いてくれる人がいる。対局のたびにコメントをくれる人がいる。記事や動画をあげるたびに反応を返してくれる人がいる。この文章を読んでくれているあなたがいる。私が一人じゃないなんてことは、もちろん私は知っていた。しかし、理解していなかったのである。私にはあなたがいることを理解していなかったのだ。

 そしてここまで気づいてようやく、1秒前の決意が間違っていたことが分かるのだ。あの日を取り戻すだなんてとんでもない。そんな後ろ向きな気持ちで戦い続けるのはごめんだ。あの頃よりもっと楽しい状況を作ることこそ私の使命だ。今私と共にいてくれる人々と一緒に、とにかく楽しい日々を生み出すのだ。それこそ、ここから去ってしまった仲間たちが戻ってきたくてたまらなくなるような、そんな日々を。そのためになら、私は戦い続けることができる。戦う意味は、私たちの手の中にある。もっと楽しい未来のために、私は戦い続けよう。そう決意した。私は、ここにいる。

 本稿を第7期全体の振り返りだと思って読んでくれている方々には大変申し訳ないが、以上でこの記事の中核は終わりである。このことに気づいた時点で、私にとって今期の指す順は終わったのだ。正確に言えば、やっと始まったのだ。だが、個別具体的な振り返りが本稿で語りたいものと異なるのはお分かりいただけると思う。この記事の内容はそれこそ風呂から上がるころにはすでに骨格ができていた。しかし、もし降級してしまったならば、なんだか強がりめいたこの記事は出さないつもりだったのも確かである。
 
 昇級できなかったという事実について悔しい気持ちがあるのは間違いない。とりわけ、2期連続で負け越してしまったということは考えるたびに心臓が焼け焦げるような感覚を覚える。ただ、今だけは、何とか残留できたという控えめな喜びをかみしめることをお許しいただきたい。この喜びのためにでも、指す将順位戦に出てよかったと思えるのだ。そして、対局してくださった皆さん、観戦してくださった皆さん、そしてなにより運営の皆さんに心からの感謝を表したい。ありがたく、そしてうれしく思う。開幕五連敗してもうだめかと思ったが、何とか残留できた。

 降級は回避したが、来期も戦い続けたい。

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