今週の小話#2

完全試合について

 ここ最近のNPBで一番の話題といえば、完全試合であろう。28年ぶりの偉業ということで大変騒ぎになったものだ。私はそのとき吉野で花見をしていて、突然友人が騒ぎ出したから何事かと思ったものである。というか普段からよく嘘をつくやつなので嘘だと思っていたため、本当だと知った時は流石に驚いた。すぐにwikipediaに「佐々木朗希の完全試合」という記事が立つなど、世間の熱狂っぷりが伝わってくる。

 どうやら完全試合は投手による記録だとみなされているようだ。それなら完全投球と言うべきではないかという気もしないではない。調べてみると、MLBでは投手が達成した記録というよりはチームで達成した記録と見なす風潮が強いという。その真偽はどうでも良いが、無失策という要件が含まれている以上、野手も参加する記録と見なすのは理由のある考え方だ。完全試合を達成した次の試合も佐々木投手は完全ペースだったが、打線の無援護のために8回で降板した。この点も、完全試合はチームによる記録だとみなす理由になるかもしれない。

 ところでMLBでは、完全試合やノーヒットノーランを阻止するためにバントを試みてはならないという不文律があると言う。ネットで見かけただけの話なのでこれも真偽は分からない。もし本当ならくだらない不文律だ。だがそういう不文律が存在するということ自体は素晴らしいことのように感じられる。それが定着する程度に完全試合が価値のあるものだと考えられている証明ではないか。大記録に浮かれるのもそれはそれで良いが、その背景について思いを巡らせるのも乙な物だと思う。

青い三角フラスコ

 ある朝目が覚めてスマホをいじっていると、「青い三角フラスコ」という言葉が頭に浮かんだ。知らない言葉だ。早速Googleで調べてみるが、特に何もヒットしなかった。なにやら詩的な響きを感じる良いフレーズだと思い、メモに残しておいた。

 それから数週間経ち、ラジオを聴きながらドラクエをプレイしている時に、唐突に答えはやってきた。「青い三角フラスコ」は見知らぬ誰かのラジオネームだったのだ。この人は如何にしてこのフレーズに辿り着いたのだろう。やっぱり良い響きだな、と思いながら、その文字列をメモ帳から消去した。

初体験について

 先日後輩の女の子と喋っていた時のことだ。たまたま私はその前日に初めて体験した出来事があり、それについて話していた。ここでいう初体験の出来事というのは、もちろん性的な意味ではない。単純に個人的にちょっと面白かったというだけのエピソードトークみたいな話だった。ここでオチに困った私は、話しながら、「というのが俺の初体験だったのさ」みたいな感じで、少しセクシャルな空気を出せば笑いになるかなと思った。

 いや完全にセクハラおじさんやん。思いついた瞬間にそれを打ち消す。危ないところだった。会話自体は無難に着地させて、平静を装い立ち去る。

 いつもの友人たちとモテない男衆で集まって飲んでいるなら大ウケこそしないにせよ、しょうもない一ボケとして普通に流れていたことだろう。だが今回は違う。自分が如何にホモソーシャルなコミュニティの中で生きていたのか自覚させられた。最近人気のない表現を使えば、ハッとさせられた。なんということか。そういうことに関する感覚は人並み以上にあると思っていただけに衝撃は大きかった。一歩間違えばというところまで来ていたのだ。許容し難いことは大抵自分の中にある。おそらく、それと如何に向き合うかが肝要なのだろう。

どこからどこへの一方通行?

 先日散歩をしていた折、大通りの方から細い路地へと入っていくことがあった。明らかに一方通行である。立て看板や張り紙に、“歩行者に注意”と言った旨の注意書きがあった。一見ふつうの光景だが、私は違和感を覚えた。看板も張り紙も、私が入ってきた方向に向けて書かれていた。つまり車が私と同じルートで侵入してくることを意識しているはずだ。だが地面を見れば、「止まれ」の道路表示が逆向きに書かれていたのである。車が路地から大通りに出ていく時に止まれと指示する表示だ。普通に考えれば道路表示の方が看板や張り紙より正しいであろうから、きっと向きを間違えたのだろう。これはnoteのネタになると思った。路地を抜ける際に標識を確認すると、やはり一方通行だ。誰に向けた看板なんだよ、と心の中で突っ込む。

 ...…いや違う、逆だ。看板が間違っているという先入観に囚われて誤解してしまっていた。路地を出る時にあった標識は侵入禁止の標識だったのである。つまり、一方通行の向きは私が通ったルートで正しく、大通りから路地に入ってくるものだった。看板の向きは正しかったのである。では止まれの道路表示が逆向きだったのは何故だ?侵入禁止の標識がある方から入ってくる向きに書かれているこの表示は一体?とまぁ悩んだのは一瞬のことだった。なんのことはない、答えは標識に書いてある。「自転車を除く」の文字。この「とまれ」は、自転車が狭い路地から大通りへ飛び出すのを防ぐためのものだったのだろう。

 侵入禁止マークの下にある「自転車を除く」の文字列といい、止まれの道路表示といい、普段は見慣れて気にも止めないものだ。しかし、止まれの文字が自転車のためだけに書かれることもあるという当たり前のことが抜けてしまっていた。これに気づいてからは同じような表示のある路地を度々見かけるようになった。先入観に囚われて思考が固くなってしまっているなぁと反省する一方で、小さな謎解きのような気もして楽しかった。

鬼滅が辛い

 遅ればせながら鬼滅の刃を見始めた。が、辛い。つまらない訳ではない。非常に面白い。展開はアツいし、キャラは魅力的だし、社会現象を巻き起こすだけのことはある。だが辛い。中高生がハマるのは分かる。けどこれが小学生にウケたってマジですかい。蜘蛛山まで見たけどそこで止まっちゃってますね。鬼が人を食いまくっても可哀想だし、鬼を斬っても鬼が可哀想でカタルシスが薄い。結局面白いから見始めたら深夜まで見続けちゃうんだけども。一旦止まったら次見る時にさぁ見るか...って感じに気合い入れないといけない。それでも観たら観てる間は面白いんだけど、翌朝起きたら何なん...ってなっちゃう。修行だと思ってもっと観続けるべきなんでしょうかね。物語が進めば、あるいは慣れてくれば解決するんでしょうか。それともこのスッキリしなさ自体を楽しまないといけないんですかね。どうしたもんかいの...。

 結局何をトチ狂ったかニャル子さんを見返すことにした。(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!

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